偏差値2那由多

一般男性の公開ポエム

物を書く持続力がない

f:id:i5nb:20171024180535j:image

 

しばらく文章を書かなかった。1ヶ月ほどブログを放置していた。本当に無意識にこうなってしまったので実は自分でも驚いている。
書くことがなかったというよりかは、書く癖がなくなってしまったといったほうが正しい。本当は書きたい(書くべきであろう)ことが山積みだったのに、文を書くという発想がなかったみたいだ。
実は8月の半ばからブログだけではなく日記帳に日記を書くようにしていた。どんな平凡な日だろうと必ず1ページは何かを書いていた。前から問題視していた「漢字をまともに書けない」というコンプレックスを直したかったのと、単に自分のレコードを作りたかったといった単純なモチベーションだったが、案外と9月の下旬まで続いた。多分、やることがなくなったらとりあえずTwitterを開くのと同じで、ある意味僕の内蔵の一部として日記を書くという習慣がついたのだろう。

先月健康状態が本当に悪かったので一度実家に帰ったのだが、その時に日記帳を置いて帰ってしまったため実家で日記を書けなかった。それ以来日記を書く習慣がなくなってしまった。日記のほうが身近にあれこれ書けていたので、自然とブログも書かなくなってしまった。
何かを続けるっていうのは論理的なモチベーションでは達成できない。無意識のうちに手が動いている位のものじゃないと続かない。恐らく、集中力が続く受験生とそうじゃない受験生っていうのも学力ではなく無意識の領域が差をつけているのだろう。

僕が「書く」ことを放置した1ヶ月間、政治の世界は面白いことだらけだった。衆議院解散をするかと思いきや突然民進党が事実上の解体をしたり、自民党が消費税の使い方を変えると言い出したり、希望の党立憲民主党ができたり。多分今挙げた3つで3エントリーは書けたと想像すると実にもったいない事をしたなと思う。
大学でも日本の衆院選やトランプ大統領の例を出してポピュリズムについて政治学科の教授と学生が批判しまくっていた。僕は大学という機関こそがポピュリズムを悪用してカネを巻き上げてきた第一人者だと考えているため大学教授がポピュリズムを批判してるのが信じられなかったのだが、これについてもブログだったらもっと詳しくわかりやすく解説できるんだろうなあと悔やまれる。

プライベートでも面白いことがいくつかあった。意識高い系の団体に行って吐き気がしたこととかSkypeで話した内容とかフォロワーから借りたCD返すために県跨いでついでに焼肉食った話とか、その事自体はどうでもいいんだろうけどその時何を考えていたかレコードをとるという意味合いでもしっかりと日記を書いておくべきだった。
その時何を考えていたのかというのは後になって再現できないので、日記を書いて保存でもしない限り近似値を出すことが出来なくなってしまう。それでいて「自分はあの日○○と考えていて〜」とぼやくのは傲慢で偽善的だ。

日記やブログを書くと言うのは本質的に防御の性質がある。頭の中の概念でのみ保存されている領域を無理矢理言語化することで、将来その概念が社会に触れた時に攻撃されないようにする(もしくはその時のダメージを和らげる)効果がある。僕とかは社会的に受け入れられないであろう事を平気で考えていたりするので、近い将来それが公に出た時に自分を防御する必要がある。そういったことを説明するという意味でも、文を書くということはメリットがある。

さっきから後悔してばかりだが、こうでも書かないとまた放置してしまいそうで怖い。最初に述べたように何かを続けるには自然なきっかけが必要なので、この記事を書かないといけない気がした。本来○○を続けますと堂々と書くのは少しずるいのだが、今回だけは。