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2023年コンテンツまとめ

2023年も終わりそうなので、例年通り今年面白かったコンテンツを挙げる。あんまりやる気がないので、去年とかより短めかも。

去年の:

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一昨年:

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ゼルダの伝説 ティアーズオブザキングダム

ゼルダシリーズの最新作。ブレスオブザワイルドの後日談的な立ち位置になるのかな。僕はハイラルに空を追加したゲームだと思って始めたので、空よりも地下のほうが広いことを知って驚愕した覚えがある。

とても楽しみにしていたゲームだけあって、満足度が高かった。任天堂らしいグラフィックは残しつつ、以前よりも立体感が増して気持ちがいい。なんというか、リンクがその場にいなくても世界が動いている気がする。でもリンクがサブクエストをこなすと若干世界が変わって、その変化が面白くていつまで経ってもゲームをやめられない。

僕は任天堂オープンワールドに強い会社という印象を持っていないので、恐らくかなり研究したと推測する。マイクラのようなクラフトのギミックを導入して、ブレワイを一生遊べるゲームに昇華させた。何度も延期をされたが、これは納得ができる出来だなと思った。

Ghost of Tsushima

映画版『Ghost of Tsushima』チャド・スタエルスキ監督、続編やドラマ版への拡大も検討している

対馬の武士が元寇と戦うゲーム。洋ゲーとは思えないクオリティで日本を表現した、ある種の作品に見える。エンドロールで外国人の名前ばかり出てきたときは流石に嘘だろと声出してしまった。なんというか、インスタで映る日本を仮想現実みたいにしたらGhost of Tsushimaが出来上がる気がする。

僕が一番好きなのは神社の礼拝だ。対馬の島中に15の神社を巡るのだが、そもそも神社がよくわからない山奥や茂みの向こうにあるため見つからない。その神社の鳥居が見つかっても、本殿に行く道が舗装されていないので、自力で遠回りしなければいけない。崖を登ったり木々の間を飛んだりとアクロバティックな動きをしてようやくお参りをする。この面倒臭さと引き換えに映る主人公の参拝する後ろ姿が非常に美しく感動した。これを見て美しいと思うのは恐らく日本人プレイヤーだけだろう。僕は愛国心というものがよくわからないと思っていたが、もしかしたらこれを美しいと感じるのは愛国心の一つの形なのかもしれない。

僕は武士についてもそこまで詳しい訳では無いが、エンタメ性のある時代劇にしつつかなり正確に武士のロジックを描いているようにも見えた。大陸のロジックに感化された主人公・境井と、伝統的な武士道を貫く叔父の志村を綺麗にコントラストしている。当時は今より身近だったであろう死の概念を彼らの対立で表現するのは巧妙だ。特に最後の選択は要約すると「武士の誉れを本当に捨てるのか、誉れでは蒙古を打倒できないという堺井の矜持を否定するのか」とかなり皮肉めいた問いかけで、「所詮ゲーム」なのに僕は即答できなかった。

対馬という場所を選んだのもSucker Punch Productionsのセンスを感じる。端から端まで移動できる程度には閉鎖的だが、場所によって景色を変えることができる程度には広い、ちょうどいいサイズ感だ。僕は鎌倉時代について全く詳しくないが、集落同士の距離感は「鎌倉時代っぽい」。それでもって対馬を舞台にしたゲームはもちろん、有名なドラマやアニメなども聞いたことがないので、かなりニッチな所を攻めたなと思う。

ゲームにここまで美しいという感想を抱いたことはあっただろうか。もちろん日本人バフも掛かっているが、この先ここまで綺麗なゲームを遊べたらラッキーだと思うくらいには美しい作品だった。

Geoguessr

Google Mapsストリートビューから現在地を推測するというゲーム。単純なルールだが、コツが掴めると奥が深くて面白い。日本国内でいうと、看板に書いてある市外局番から大雑把に都道府県を推測できるようになるし、世界編だと車の通行方向から街中で使われている文字、更には生えている植物のパターンで大体の国を把握できるようになる。山の方角や川が上流か下流かといった、今まであまり興味のなかった情報を即座に考えるようになった。

マルチプレイで遊ぶのも面白い。誰が一番ピンポイントを当てられるか競うのも楽しいが、プレイが終わったあとに「どこをヒントにしたか」の感想を言い合うことで新しい考え方を得られてお得だ。いつか誰かが遊んでいるのを横で見てみたい。親しい人がどういった情報をどのように拾っているのか気になるので。

Trailer Park Boys

Netflixで見れるカナダのコメディドラマ。面白かった。

水曜どうでしょう

俳優の大泉洋が主演する札幌の旅行系バラエティ番組。「またしても何も知らない大泉洋さん」「ここをキャンプ地とする」というミームがよく流れてきたので興味本位で見たのだが、いつの間にかDVDを集めるほどにはハマってしまった。今年面白かったコンテンツのMVPを選べと言われたらこれかもしれない。

僕は正直バラエティ番組というものにはかなり否定的だった。声の大きい人達がわざとらしく台本に沿ってちゃっちい企画をやる印象があって、すごく貧乏くさく見える。しかも彼らはいつも雛壇の上でわちゃわちゃしてるので、どうも遠く離れた世界の人に感じてしまう。こう感じているのは僕だけじゃないだろうし、最近のテレビ離れの原因の一つは僕のバラエティへの感想に近いものだろう。

水曜どうでしょうは本当に真逆のスタイルだから好きになれた。大まかな台本というのはあるのかもしれないが、分刻みのスケジュールで枠ごとに文言が決まっている、という様子は全く無い。どちらかというとホームビデオに近く、別に高価でもなさそうなカメラで彼らの旅の一部始終を捉えるスタイルは、まるで同級生と旅行に行っているような親近感が湧く。

旅とは行っても「同級生との旅行」にしては非常に過酷だ。半ズボンで北極圏に行ったり誰も下調べしていないコウモリだらけの洞窟に入ったり、突然乗ったこともない原付で1000km走らされたり1週間甘いものしか食べれなかったり……かなり危ない橋を渡る時にとっさに出てくるギャグというのは、スタジオで偉そうに喋る芸能人よりも重みがある。東京のバラエティ番組へのヘイトは変わらないが、今後は水曜どうでしょうは例外扱いすることになりそうだ。

この番組を通して、大泉洋とミスターが僕の中で憧れというか、一種のアイドルみたいになった。ちょっと変な表現だが、どうでしょうファンなら共感できる人は多いだろう。しんどい状況でも弱音を吐かず大泉を立てるミスターは男前だし、巧みな語彙力でいつでも笑いを誘う大泉はピエロみたいで面白い。

水曜どうでしょうが面白いのには他にもいくつか理由があって、これを書き出そうと試しに書き始めてみたが、あまりにも長くなりそうなのでやめた。気が向いたら後で書くかもしれない(この前フリをして書いたことなど殆どないが)。

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近況

2023年は非常に充実した1年だった。カネ・社会・将来どうするかなど、色々なしがらみを一旦忘れて過ごすことを選択した。今までと比べてもコンテンツより人間関係を重視するようにして、空いてる時間を積極的に人と合うようにした。実際カレンダーを見ても、去年までの遊びの予定がスッカラカンで逆にびっくりする。

長期の旅行に行ったりもした。ちょっと長すぎて流石にうんざりしてしまったが、行きたい所を回れて概ね満足している。途中までだったが、初めて友達と何日も旅行に行く経験を出来たのもよかった。なんとなく自分の旅行スタイルというのがわかってきたので、その後の短い旅行でも実践している。

全体的にQoLが高く、ストレス負荷もそこまでなかった。後で振り返っても2023年は素晴らしい1年だったとなるだろう。

しかし今は仮初めの自由を満喫しているだけで、どこかで保留を解除しなければいけない。本当にうんざりするが、2024年1月からは計画的に動こうと思う。

「明日から頑張る」程度にしか思ってないが、どこかで宣言しておかないと本当に何もしなくなってしまうので、戒めのために一応ここで宣言だけしておく。

「北海道で家、建てます」のカタルシスがすごい

水曜どうでしょう」の北海道で家を建てる企画を見たのだが、あまりにも衝撃的だった。この興奮を共有できる相手がいないのでネタバレ全開で紹介したい。

Netflixで「水曜どうでしょう」にハマり始めて色々な企画を見て、最後に見たのが家を建てる企画だった。この企画を始める際、藤村Dがきっぱりと「これはプランBであり、我々は実は迷走している」と豪語した。以前見た企画は過酷な旅が多かったが、出演者のライフステージや知名度の変化で前と同じような企画はできないことはわかり切っていた。しかし、大泉のリクエストのように新しい企画をするというのも同じくらい難しい。だから「家を建てる」企画そのものがプランBだったのも納得がいく。

残念ながら迷走感は否めなかった。最初の1話は企画発表すらしないし、家を建てる→シェフ大泉の流れを3回もやってる。大泉の言う通り、わざわざテントに泊まる必要も特に感じない。家を建てる工程もどうも「現場感」が強くて、どうも少し方向性がズレているように感じた。やはり出演陣の喋りが面白いので辛うじて場を繋いでいるが、10話あたりで少し飽きてきた。とはいえ、この段階で家の土台しか出来ていないので、最終話でどういう展開になるのかよくわからなかった。

11話のOPで完成した家が登場して、ついに諦めたのかと少し呆れた。ダラダラした流れを一気に飛ばして、ミスターと藤村Dと大工さんたちで完成させたように見える。2年間一度も声がかからなかったと不満を募る大泉を前に、「表札を打っていただきたい」とお願いして、形だけでも大泉が有終の美を飾った。土台しか作ってない大泉だが、大スターで多忙の彼に主演としてせめて表札だけでも打ってもらいたいという素朴な親切心を感じた。前述の通り微妙なシリーズだったが、一応これで完成だ。

ここで少し疑問が残る。何故11話も放送する必要があったのか?初回で藤村Dが「尺稼ぎ」と称して延々と打ち合わせの動画を垂れ流していたが、そもそも尺を稼ぐ必要があるか?ネタがないならそんなものカットして6話くらいの構成にすればいい。2年間大泉抜きで作業をしたんだったら、6月のミスターだけが黙々と階段を建てる回も飛ばしていい。というか2年間主演に一度も打診しなかったのもおかしい(「またしても何も知らない」でおなじみの大泉だが、これは流石におふざけが過ぎている)。色々な角度で考えても、11話開始時点での構成は「どうでしょうらしくない」のだ。スッキリしないが、とりあえずどうでしょうハウスで1泊でもして終わるのかと思った。

 

だが、ここで話が急展開する。

大泉が不在だった2年間の作業内容をVTRで見る。嬉野Dも参加してタイムラプスで早送りにするのかと思いきや、翌冬初めてのロケから始まる。駐車場で軽いトークをして、建設途中のどうでしょうハウスに向かう。ここまでは想定できる範囲だった。

どうでしょうハウスに着くなり制作陣一同唖然とする。豪雪で土台が真っ二つに折れ、木に刺していたボルトも曲がってしまったのだ。完全に虚無のような顔で被害状況を探るべく無心に雪かきをする制作陣。一通りの惨状を確認し使い物にならなくなった土台を見て、彼らはこのようにコメントした。

嬉野D「これはアレかい?無かった事にしろっていう神のお告げかい?」

ミスター「正直木も折れてるけど僕は心も折れてるんで」

藤村D「まあ大泉くんにはここは来ないように、一切立入禁止ってことで」

このVTRを見た大泉は、どうでしょうハウスのすぐ先にある材木の塊を見て驚愕する。 あれはただの材木ではなく、大泉が作った土台の残骸なのだ。そして困惑した顔で「俺が今懐かしがりながら立っているこの土台は俺が作ったものではないというのか?」と制作陣に訴える。

 

僕はこのシリーズからかつてない「カタルシスみ」を感じた。「何故11話も放送する必要があったのか」への答えは、上記の制作陣のコメントにすべてが集約されているからだ。

10話かけて作業の様子を映さないと、上記のミスターと嬉野Dのコメントの意味が理解できない。同じような話を延々としててしんどいなと思うが、それ以上に出演陣は疲労困憊している。それでも視聴者を喜ばせようと落とし穴を作ったり北海道の過酷な冬にわざわざテントを張って寝泊まりした。

崩壊した家を前に、彼らには2つの選択肢があった。

  1. 頑張って1から家を建て直す。

  2. このシリーズを「無かった事」にして、視聴者の前から永遠に封印する。

ミスターのコメントから1が精神的に却下され、嬉野Dのコメントは2を推している。確かに、そもそも家を建てる企画を発表すらしなかったら、予算が無駄になること以外はかなり合理的な判断に見える。もしかしたら、僕らが知らないだけでボツになった企画が他にもあるのかもしれない。同じように、この企画も封印されるように思えた。

だが、ミスターが自分たちの手を一切染めず、同時に視聴者を満足させられる第三の道を示した。大泉の娘さんにどうでしょうハウスを見せられるかという会話の中で、ミスターが「大工さんに頼めば可能」と言い放ったのだ。

ここで藤村Dの上記のコメントを踏まえて、迷走していたシリーズの放送構成が全て決まったのだ。ある程度大泉とミスターに家っぽいものを作らせるが、その家が一度崩壊するので、大工に全部丸投げして家を再建させる。しかし「崩壊」「丸投げ」という事実を大泉に黙ることで、いつものドッキリを壮大に行いたい、と。

大泉がこれだけ驚いている顔を視聴者に見せるには、涼宮ハルヒの「エンドレスエイト」のように同じような作業の風景を延々と放送しなければ意味をなさない。なぜなら、家を建てるのは立派な仕事だが如何せんテレビ番組の構成としては些か地味になりがちで、繰り返し見ないとその苦労をイメージしづらい。その苦労が一瞬にして水の泡と化した現実を前に愕然とする大泉の心象は、こちらも多少苦労して見ないと伝わらない。

だから10話もかけて作業の様子を映したのだと考えると、非常に納得がいく。「怖い」という大泉の感想も、ここまで詳細に作業を見ると共感できるものがあるのだ。

 

シリーズを通して、叙述トリックのようなものも感じた。

初回で大泉が新作三か条と称して、新作は今までにないものを作れと要求した。藤村は「我々は今迷走しています」といって茶化していたが、実際に「今までにないもの」を完成させた。

しかし家を建てる行為そのものが新規性を孕んでいたわけではない。シェフ大泉の料理が凡庸と言われたように、内容が新しくても概ね期待通りの動画が流れると凡庸になってしまう。しかし、11話を通して大泉にドッキリさせるという発想は新規性に富んでいた。しかもその事実を最後の最後まで視聴者にも黙ることで、最終話の衝撃を大泉とシンクロさせ視聴者に壮大なカタルシスを届けた。上記の通り、一見無駄に見える尺も全て意味を持っていたが、最終話まで視聴者と大泉に共有されなかったというのは今回の番組構成上で一番重要な鍵となったのだ。

 

そんなわけで、今作はカタルシスが強すぎて非常に満足度が高かった。対決列島東京ウォーカーが好きなのだが、かなり近いレベルで気に入るシリーズが最後に発掘されるとは驚いた。

今作に関して1つだけ疑問が残った。藤村Dはいつからこのオチを考えていたのだろうか?プランBだと提示した段階で既に崩壊することが予定としてあったのだろうか。長年北海道に住んでいる制作陣ならば、大雪の後に土台が壊れてないか確認しに行ってもおかしくない。しかし実際に大雪の翌日にたまたま確認しに行ったらあの惨状だったという可能性もあるので、結論づけるのは些か早急だろう。

仮に最初からドッキリ作戦を頭の中で作っていたとしたら、その企画力と実行力に脱帽する。そうじゃなかったとしても、「大泉を立入禁止にしよう」と言った時点で今作の構成を急ピッチで変更したことになるので、その頭の回転の速さに驚く。どっちにしても、10話あたりで「だれてきたな〜」とか思っていた僕が藤村Dの手の上で踊らされていた事実は変わらない。

最後に、第四の壁を超えて大泉と僕の心境が一致した際の大泉のコメントを添えて終えたい。

「どうでしょうはすごいね。ないね、ない。こんな番組ないよ」

旅に飽きた

僕は今、エジプトのカイロにいる。1ヶ月半の海外旅行の最初の3週間目だ。当初は昔からの友達とイタリアとギリシャを回ったあと別れて、ソロで1週間ほどギリシャの島を回ってから2週間ほどエジプトのナイル川沿いを観光し、最後にトルコに行く予定だった。3月まで無職だけど貯金はあったので、仕事をしてから行けない場所に行こうと楽しみにしていた。

しかし複合的な理由で旅が辛くなってきて、今はとても家に帰りたくなっている。特にブログにまとめるつもりはなかったが、一度整理したいので因数分解する。

1. トルコ地震

今回の旅行はイスタンブール経由でローマに入国することから始まった。しかし僕がローマに行く当日にトルコで大地震が起きて、多くの人が亡くなる大惨事になった。実際僕が乗る飛行機には日本人の救助隊が乗っていたらしい。

イスタンブールなど西の地域は震源地から遠いため今現在影響があるわけではないだろうが、やはり旅行に行く一番楽しい時期ではないだろう。進んで自粛をするというわけではないが、現地の人が苦しんでるときにウキウキで行くのがなんか違う気がする。

逆に最後のX日をトルコで過ごさないとなると、どこで何をして時間を潰すのか?と考え始めたが、「時間を潰す」という概念に圧倒されて、旅行を楽しむモチベーションが下がってしまった。そもそもトルコに行くことを楽しみにしていたので、旅が始まった時点でかなり渋くなってしまった。

一応誤解されないように補足すると、「トルコの人が悪い」という話ではない。あくまで僕のマインドセットが悪い方向に引っ張られたという話。個人的には運が悪かったなあと思っているが、トルコの被災者の気持ちはそれどころではないだろう。トルコが今回の震災から復興してから改めて旅をしたい。

2. 金欠

壮大な海外旅行ではあるが、無職の貯金など蚊の涙なので、いわゆる貧乏旅行ではある。ある程度気をつけていたつもりだったが、今日クレカの限度額を超えてATMが使えず、旅のモチベーションがぷつんと切れてしまった。

そもそも今回の旅行はある程度節約していたので、クレカの限度額に引っかかるとは思っていなかった。

イタリアは北の方を回ったので物価が高く、結構ケチった。それでも長いこといたので、ある程度の出費はあった。ギリシャはヨーロッパの中では物価が安かったので財布の紐を少し緩めて旅行した。

エジプトはとても物価が安いので当然そんなに金を使う必要がないだろうと思っていた。実際に今泊まってるカイロの宿も個室で1泊2k弱とかだし、夕飯も100円で済んだ。

しかし想定外だったのは、エジプトで面白い観光地に行くには絶対にツアーに参加しなければいけないということだ。正確には、そういった法律があるわけではないが、ガイドを付けないと安心安全に旅行をすることができない。そもそも公共交通機関が整っているわけではないので、ガイドがいないと行きか帰りのどちらかで高い確率で詰む。

そして当然ツアーというのはびっくりするくらい高い。特に一人旅行の敷居が金銭的に高い。表示されている額の他諸々請求され、結果もっと払うこともある。

(1)の理由でエジプトの滞在を長くしようと思っていたが、これを何回も続けるのはとてもじゃないが難しい。

3. ツアーアンチ

僕はもともとツアーが好きではない。ゆっくり自分のペースで旅行したいのに、お金を払って他の人が組んだ旅程でせかせか旅行することに魅力を感じない。

実際に博物館でよく見るツアー客を見ると、ガイドが要点を説明して早足で駆け抜けるのをよく見る。僕は博物館で1日過ごせるくらい足が遅いので、僕には合わないだろうと思っていた。

ただ(2)の理由により、ツアーガイドをつけなければいけない。実際に今日ツアーに参加したが、僕が面白いと思った場所で満足に滞在できず、逆に全く興味のない土産物屋に行ったりして、もう二度と参加したくないという気持ちになった(そしてこのツアーの思わぬ出費でクレカの限度額に到達した)。

一応来週3泊4日のツアーの予約を入れたが、正直全然行きたくない。エジプトの行きたい遺跡を回るには一番安全で手間が少ないから予約したが、今は行きたくない気持ちのほうが強い。これをキャンセルするかどうか非常に迷っている。

4. 飯モチベ

先日別記事で詳しく書いたが、僕は食事をあまり楽しめなくなってしまった。食事が楽しくないので当然旅先で食事を楽しむという考えを持っていない。なので金銭的には食事の優先度が非常に低く、極力安く抑えようとしている(友人と回ってるときは少し悪いことしたと思っている、全然食欲がなくて食事をケチったので)。

とにかく栄養をサクッと取れて量と油が少ないオプションがほしいのだが、異国の地でそれを安易に見つけられるわけなく、食事が毎度ストレスになってしまった。優先度が低いのに食事のことを定期的に考えなければいけないのが苦痛だ。

これに関してはどうすればよかったのか内省しているが、旅行に来なければよかったのでは?という結論にしかならない。ただただ胃腸が旅行に向いてない。

5. 飽き性

これは純粋に僕の性格の問題だが、思ってた以上に飽きが早かった。イタリアも1週間いたあたりからもうイタリアは飽きたかなという気持ちになり、ギリシャも4日ほどアテネを一通り観光してから「もうギリシャはお腹いっぱい」となった。実際、ギリシャで友達と別れてから少ししか観光せず、島の観光をすっぽかして前倒しでエジプトに来てしまった。

イタリアの美術には流石の美術弱者の僕も圧倒されたし、アテネでは博物館のとある展示物に感動した。ただどうしても飽きが先に来てしまい、最後の方には体が旅程に動かされているような感覚になる。

カイロに来て3日目だが、もう飽きた。もうちょい長くカイロを観光するつもりだったが、もうそろそろ出たい。とりあえず明日から数日アレクサンドリアに行くことにした。ただアレクサンドリアもすぐに飽きたらどうしよう、という若干の恐怖を感じている。実際にエジプトもあと数日で飽きる気がしている。

6. その他

諸々の事務作業をしなければいけなくなり、旅行の熱が冷めてしまったのも要因の一つだが、詳しくは割愛。

考える限り今できるオプションは3つある。

1. 帰国日を変えずに旅程を再編成する

紅海沿いのビーチにダイビングスポットがあるらしく、旅行の趣旨を変えてダイビングをするのはありだと思っていた。宿とダイビングの価格もかなりリーズナブルで、水中の視界もかなり良さそうだ。

しかし紅海の水温がダイビングに適しているかが微妙なのと、トルコ旅行全日程分をこちらに振り返っても結局飽きる気がする。あとダイビングのライセンスを家においてきたので、代わりのライセンスを発行するのにも手間と時間がかかる。

2. 旅程を再編成した上で、帰国日を少し繰り上げる

これもある程度はあり得るプランだと思っていた。少なくともトルコに今行きたいと思っていないため、この期間を削って日本に帰ろうと思った。しかし飛行機を変更しようとしたら思っていたより値段がすることがわかり、数日繰り上げる際の費用対効果が微妙だった。

3. 最速で帰る

最速で帰った場合は(2)の費用対効果を正当化できる気がしている。行きたくないツアーに入るコストが浮くので、変更料が微々たるものになる。

 

ここまで書いたら今すぐ帰るのが一番丸いムーブな気がしてきた。楽しくない旅を継続するがしんどいので、さっさと引き上げるのが丸い。とりあえず帰りの飛行機を取ろうかな……

今回の旅に関するネガキャンばかりしているが、実際は面白いこともたくさんあった。特にアテネの遺跡類は感動の連続で、旅行に来たことへの後悔はない。エジプトも皆が知るような人物(有名人などではないが)と偶然出会ったりした。この辺は気力があれば後日書くとする。