偏差値2那由多

一般男性の公開ポエム

「北海道で家、建てます」のカタルシスがすごい

水曜どうでしょう」の北海道で家を建てる企画を見たのだが、あまりにも衝撃的だった。この興奮を共有できる相手がいないのでネタバレ全開で紹介したい。

Netflixで「水曜どうでしょう」にハマり始めて色々な企画を見て、最後に見たのが家を建てる企画だった。この企画を始める際、藤村Dがきっぱりと「これはプランBであり、我々は実は迷走している」と豪語した。以前見た企画は過酷な旅が多かったが、出演者のライフステージや知名度の変化で前と同じような企画はできないことはわかり切っていた。しかし、大泉のリクエストのように新しい企画をするというのも同じくらい難しい。だから「家を建てる」企画そのものがプランBだったのも納得がいく。

残念ながら迷走感は否めなかった。最初の1話は企画発表すらしないし、家を建てる→シェフ大泉の流れを3回もやってる。大泉の言う通り、わざわざテントに泊まる必要も特に感じない。家を建てる工程もどうも「現場感」が強くて、どうも少し方向性がズレているように感じた。やはり出演陣の喋りが面白いので辛うじて場を繋いでいるが、10話あたりで少し飽きてきた。とはいえ、この段階で家の土台しか出来ていないので、最終話でどういう展開になるのかよくわからなかった。

11話のOPで完成した家が登場して、ついに諦めたのかと少し呆れた。ダラダラした流れを一気に飛ばして、ミスターと藤村Dと大工さんたちで完成させたように見える。2年間一度も声がかからなかったと不満を募る大泉を前に、「表札を打っていただきたい」とお願いして、形だけでも大泉が有終の美を飾った。土台しか作ってない大泉だが、大スターで多忙の彼に主演としてせめて表札だけでも打ってもらいたいという素朴な親切心を感じた。前述の通り微妙なシリーズだったが、一応これで完成だ。

ここで少し疑問が残る。何故11話も放送する必要があったのか?初回で藤村Dが「尺稼ぎ」と称して延々と打ち合わせの動画を垂れ流していたが、そもそも尺を稼ぐ必要があるか?ネタがないならそんなものカットして6話くらいの構成にすればいい。2年間大泉抜きで作業をしたんだったら、6月のミスターだけが黙々と階段を建てる回も飛ばしていい。というか2年間主演に一度も打診しなかったのもおかしい(「またしても何も知らない」でおなじみの大泉だが、これは流石におふざけが過ぎている)。色々な角度で考えても、11話開始時点での構成は「どうでしょうらしくない」のだ。スッキリしないが、とりあえずどうでしょうハウスで1泊でもして終わるのかと思った。

 

だが、ここで話が急展開する。

大泉が不在だった2年間の作業内容をVTRで見る。嬉野Dも参加してタイムラプスで早送りにするのかと思いきや、翌冬初めてのロケから始まる。駐車場で軽いトークをして、建設途中のどうでしょうハウスに向かう。ここまでは想定できる範囲だった。

どうでしょうハウスに着くなり制作陣一同唖然とする。豪雪で土台が真っ二つに折れ、木に刺していたボルトも曲がってしまったのだ。完全に虚無のような顔で被害状況を探るべく無心に雪かきをする制作陣。一通りの惨状を確認し使い物にならなくなった土台を見て、彼らはこのようにコメントした。

嬉野D「これはアレかい?無かった事にしろっていう神のお告げかい?」

ミスター「正直木も折れてるけど僕は心も折れてるんで」

藤村D「まあ大泉くんにはここは来ないように、一切立入禁止ってことで」

このVTRを見た大泉は、どうでしょうハウスのすぐ先にある材木の塊を見て驚愕する。 あれはただの材木ではなく、大泉が作った土台の残骸なのだ。そして困惑した顔で「俺が今懐かしがりながら立っているこの土台は俺が作ったものではないというのか?」と制作陣に訴える。

 

僕はこのシリーズからかつてない「カタルシスみ」を感じた。「何故11話も放送する必要があったのか」への答えは、上記の制作陣のコメントにすべてが集約されているからだ。

10話かけて作業の様子を映さないと、上記のミスターと嬉野Dのコメントの意味が理解できない。同じような話を延々としててしんどいなと思うが、それ以上に出演陣は疲労困憊している。それでも視聴者を喜ばせようと落とし穴を作ったり北海道の過酷な冬にわざわざテントを張って寝泊まりした。

崩壊した家を前に、彼らには2つの選択肢があった。

  1. 頑張って1から家を建て直す。

  2. このシリーズを「無かった事」にして、視聴者の前から永遠に封印する。

ミスターのコメントから1が精神的に却下され、嬉野Dのコメントは2を推している。確かに、そもそも家を建てる企画を発表すらしなかったら、予算が無駄になること以外はかなり合理的な判断に見える。もしかしたら、僕らが知らないだけでボツになった企画が他にもあるのかもしれない。同じように、この企画も封印されるように思えた。

だが、ミスターが自分たちの手を一切染めず、同時に視聴者を満足させられる第三の道を示した。大泉の娘さんにどうでしょうハウスを見せられるかという会話の中で、ミスターが「大工さんに頼めば可能」と言い放ったのだ。

ここで藤村Dの上記のコメントを踏まえて、迷走していたシリーズの放送構成が全て決まったのだ。ある程度大泉とミスターに家っぽいものを作らせるが、その家が一度崩壊するので、大工に全部丸投げして家を再建させる。しかし「崩壊」「丸投げ」という事実を大泉に黙ることで、いつものドッキリを壮大に行いたい、と。

大泉がこれだけ驚いている顔を視聴者に見せるには、涼宮ハルヒの「エンドレスエイト」のように同じような作業の風景を延々と放送しなければ意味をなさない。なぜなら、家を建てるのは立派な仕事だが如何せんテレビ番組の構成としては些か地味になりがちで、繰り返し見ないとその苦労をイメージしづらい。その苦労が一瞬にして水の泡と化した現実を前に愕然とする大泉の心象は、こちらも多少苦労して見ないと伝わらない。

だから10話もかけて作業の様子を映したのだと考えると、非常に納得がいく。「怖い」という大泉の感想も、ここまで詳細に作業を見ると共感できるものがあるのだ。

 

シリーズを通して、叙述トリックのようなものも感じた。

初回で大泉が新作三か条と称して、新作は今までにないものを作れと要求した。藤村は「我々は今迷走しています」といって茶化していたが、実際に「今までにないもの」を完成させた。

しかし家を建てる行為そのものが新規性を孕んでいたわけではない。シェフ大泉の料理が凡庸と言われたように、内容が新しくても概ね期待通りの動画が流れると凡庸になってしまう。しかし、11話を通して大泉にドッキリさせるという発想は新規性に富んでいた。しかもその事実を最後の最後まで視聴者にも黙ることで、最終話の衝撃を大泉とシンクロさせ視聴者に壮大なカタルシスを届けた。上記の通り、一見無駄に見える尺も全て意味を持っていたが、最終話まで視聴者と大泉に共有されなかったというのは今回の番組構成上で一番重要な鍵となったのだ。

 

そんなわけで、今作はカタルシスが強すぎて非常に満足度が高かった。対決列島東京ウォーカーが好きなのだが、かなり近いレベルで気に入るシリーズが最後に発掘されるとは驚いた。

今作に関して1つだけ疑問が残った。藤村Dはいつからこのオチを考えていたのだろうか?プランBだと提示した段階で既に崩壊することが予定としてあったのだろうか。長年北海道に住んでいる制作陣ならば、大雪の後に土台が壊れてないか確認しに行ってもおかしくない。しかし実際に大雪の翌日にたまたま確認しに行ったらあの惨状だったという可能性もあるので、結論づけるのは些か早急だろう。

仮に最初からドッキリ作戦を頭の中で作っていたとしたら、その企画力と実行力に脱帽する。そうじゃなかったとしても、「大泉を立入禁止にしよう」と言った時点で今作の構成を急ピッチで変更したことになるので、その頭の回転の速さに驚く。どっちにしても、10話あたりで「だれてきたな〜」とか思っていた僕が藤村Dの手の上で踊らされていた事実は変わらない。

最後に、第四の壁を超えて大泉と僕の心境が一致した際の大泉のコメントを添えて終えたい。

「どうでしょうはすごいね。ないね、ない。こんな番組ないよ」