偏差値2那由多

一般男性の公開ポエム

ブログを書きたい

2017年から運営しているこのブログだが、ここ数年はほとんど記事を書かなかった。毎年の末に面白かったコンテンツを投下するbotみたいになっている。

最初は自分の思考プロセスをまとめる為のメモ代わりとして使っていたのだが、読者が増えるに連れ人に読んでほしいという欲が生まれ、気づいたら他人を意識したブログ記事を書いていた。多いときでは1日1000人単位でアクセスがあり、他人にウケる何かを書こうという義務感もあったかもしれない。しかし、プレッシャーに弱い為か、読み手を意識しているうちにブログを書くのが面倒になってしまった。

結果、年末に思い出したかのように謎の総括をするだけになっている。

ここ最近になって、再びブログを書きたいという気持ちが湧いてきた。理由を挙げると

  1. 昔の思考プロセスを忘れるようになった
  2. 創作活動をしたい

からとなる。

1. 過去の思考の忘却

過去の情景を思い起こすことというのは簡単だが、その時の思考プロセスを保持しているとは思えない。X年前のある地点で誰と時間を過ごした、といった情報を引き出せても、その情景を見て何を考えていたかを正確に思い出すことが出来ないのだ。極端な例でいうと、仲の良かった友人との記憶が、喧嘩・絶交によってすべて悪いものに書き換えられたりする。

事実、久々に自分のブログを読み返すと「僕ってこの時こんなこと考えてたのか!」と驚かされる。すごく幼稚なことを書いてるなと呆れることもあるし、今の自分が持っていない面白い視点で世の中を見ていて感心したりもする。まるで別人の文字を読むような気持ちになるのだが、面白いことにそういった過去の経験を経て今の思考プロセスが形成されているのだ。

ブログを読み返しているうちに、自分の思考プロセスのログをつけたいと思うようになった。少なくともここ数年のログは殆どついていない状態なので、2020年に何を考えていたかをあまり思い出せない。一応いうと、Twitterにごちゃごちゃ書いてはいるので正確にはログが取れてないとは言い切れないが、もっと不純物の少なくまとまりのあるログがほしい。

別に細かくこの時何を考えていたというレポートをする必要はない。あくまで未来の自分が過去の情景を想起したときに「この地点ではこのような考えが流れていた」程度でいい。そういった欲求を満たす上でこのブログは最適解に見えた。

2. 創作

僕のようにコンテンツに溺れるような人間から見て、創作活動というのは非常に難しいものに見える。何もないところに命を吹き込むということがあまり想像できない。

しかし、ここ最近になってコンテンツを作る側になりたいと思うようになった。コンテンツを消費するだけというのはどうしても他者の制作物を前提とする側面があり、トレンドの変化と自分のテイストが合わないときに非常に脆くなってしまう。また、自分の理想とするものをすべて他人に依存するという状態を続けたくない。

その点、創作活動は技術さえ伴っていれば自分が一番欲しい理想に近いものを生み出すことができる。また、その過程を一種のコンテンツとして楽しむこともできるのではないか、とも予測できる。

ブログを創作として含む人もいれば含まない人もいるだろう。ただ、自分の考えを表現するという点において、自分の創作活動の第一歩になれたらいいと思う。特に自分は(下手の横好きとはいえ)文を書くことが好きなので、創作を持続させる練習になるのでは、と予測している。

今後はもう少し頻度を上げて意識的にブログを書きたい。義務感を出さない程度に、月1回は書きたい。

コンテンツだけじゃなくて、もう少しぼんやりと思いついたこととか、最近勉強したこととかもちょこちょこ書いていくつもり。自分の頭の中に有るものを引き出していくということを練習していきたい。

あと、一応過去に書いた記事を整理したりした。一貫性教徒ではないので今と昔の意見が違ったりすることを否定的に感じたりはしないが、過去の自分の発言をあとになって責任取るということがどうにも苦手なので、責任取れそうにないものはちょいちょい整理していくつもり。責任云々のプレッシャーに負けちゃうと元も子もないからね。