偏差値2那由多

一般男性の公開ポエム

言語の分布が会話の前提知識に与える影響

日本語を話す世界に生まれた僕がここ最近気になっているのは、他の世界では国と言語がどれだけ密接に繋がっているだろう、ということだ。

日本語で文字を書くときは、読み手は恐らく日本に住んでいる日本国籍を持つ人間だろうと仮定して書いている。この仮定は統計的に見て何も問題ない。世界人口を見たとき、日本語を母国語とする人は9割以上日本に分布している。日本語学習者というのもそこまで多くない。だから日本語で書くときに、日本のコンテキストを前提に話を進めることは何も問題ない。

もし自分が別の言語を話す世界の人間で、その言語は国をまたいで分布していた場合、これは問題になるだろうかということが気になった。

 

例えば、Wikipediaで工学学士のページを日本語で開いてみる。なぜWikipediaなのか、なぜ工学学士なのかと聞かれそうだが、特に理由はない。

ja.wikipedia.org

僕がこの記事を書いている段階での概要の段落を引用する。

当該学位は主に四年制大学の工学部や理工学部系統の学部学科で取得が可能である。日本国内での工学分野の学士号は比較的古く、工部大学校の卒業生には第1等及第した場合には工学士の称号が授けられ、第2等は試験を課し合格した場合に授けられる制度が定められていた。

世界中のどこに行っても、4年ないし3年制の大学の工学部を卒業した学生には工学学士が与えられる。それなのにこの記事は日本のことを強調して書いている(僕がこの記事を書いている段階では他の国での工学学士についての記述が一切ない)。

恐らくだが、このページを編集したユーザーは日本に住んでいる日本語話者で、他の国の工学学士についてあまり馴染みがないのか、読み手が日本の工学学士について知りたいであろうという前提で編集したのであろう。他の国の工学学士について追加で書いたらバラエティ豊かな記事になるのは間違いないが、今の状態で何一つ問題ないし、よく調べて書いた記事だなと感心した。

 

ところで、同じページを英語で読んでみた。

en.wikipedia.org

概要欄の段落を引用する。

In the UK, a Bachelor of Engineering degree will be accredited by one of the Engineering Council's professional engineering institutions as suitable for registration as an incorporated engineer or chartered engineer with further study to masters level. (中略) The Bachelor of Engineering contributes to the route to chartered engineer (UK), registered engineer or licensed professional engineer and has been approved by representatives of the profession.

要約すると、イギリスではEngineering Councilという機関がエンジニアとして持つべきスキルが何かを定めた上で、それに準じたカリキュラムを提供する大学が工学学士を授与できるらしい。ちなみに中略したところでは手短にカナダの制度についても語られている。

このページのコンテンツは大きく2つ別れていて、Engineering Fields (工学の分野)とInternational Variation(外国の制度)となっている。International Variationではオーストラリアとカナダで誰が工学学士を定義するのか、誰が授与するのかについて説明されている。

 

ここまで読んで思ったのは、恐らくこのページを編集した人は英語話者で、イギリス人ないしイギリスの大学の制度について詳しい人であろうということだ。最初の概要欄がイギリスの制度から始まっているのもそうだが、オーストラリアとカナダを外国扱いしているところから明らかだ。

これを読むオーストラリア人やカナダ人はどう感じるのだろう?工学学士は別にイギリスの特許ではないし、Wikipediaの英語ページもイギリス人向けのものではない。なのに「外国の制度」として扱われている。

ちなみにこのページにはいくつかの問題があると指摘されているが、そのうち一つは「国際的視点(a worldwide view)で書かれていない可能性がある」と書かれている。僕が今まで書いたことを加味すると当然の注意書きになるが、それを言ってしまえば逆に日本語の工学学士のページなんて「日本的視点」しかない(日本語のページには特に注意書きはない)。

 

日本語と英語のWikipediaページを比べただけなので何ら証明にはなっていないが、感覚的に「日本」と「日本語」というものは他の国と言語に比べて非常に密接に繋がっているだろうということがわかった。よって、先程の工学学士のページを編集したユーザーに「日本を前提に書くのは日本国外の日本語話者に不公平だろう!」とイチャモンを付けるのは、間違ってるとまでは言わないにしても、いささか重箱の隅をつつくような行為になる。

逆に、他の言語は(特に大陸において)国をまたいで分布していることが多いため、話すときや文字を書くときに国のコンテキストを入れるときには少し神経を尖らせなければいけない。当然その言語の分布にもよるだろうが、同じ言語を話すからといって前提知識が共有されているとは限らない。

どっちの状態が正しいかという議論には正直興味がないが、このように日本で育ち日本語を母国語としている自分が持ってない感覚を他の国の人が持っているという事実に関心を持っているし、他にあるならば知りたいな、とぼんやり考えた。