偏差値2那由多

一般男性の公開ポエム

漫画村と出版社の”怠惰”

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漫画村など違法に漫画・アニメ等のコンテンツがアップロードされたサイトを政府が”ブロッキング”すると決めた問題で、様々な議論が起こっている。

www.itmedia.co.jp

だいたいのことはほとんどのブロガーやマンガ業界の人達が言ってるはずなので僕が何かエントリーを作るつもりはなかったのだが、一つあまり誰も触れてないことがあるので軽くコメントしようと思う。

まず最初に菅官房長官ブロッキングの可能性を示唆した時、流石に脅し半分のジョークだろうと思った。そもそも法律が整ってないし検閲は違うよねって話は児ポの議論で大分されてたはずなので、まさか政府がそんなことを突然やるとは想像できなかった。

だからこのニュースを見た時、正直ひっくり返ってしまった。

僕個人の立場としては、少なくとも漫画村のコンテンツを読むこと自体に違法性はないという話をちょくちょく聞いているので、漫画村にアクセスする側のユーザーの選択を政府の都合で妨害するのはいかがなことかと疑う。違法なことをしているのはアップロードしている側なのでそっちを取り締まるべきで、「本屋で漫画を買う」「漫画喫茶で読む」「漫画村でタダで読む」という選択をすることは我々読者の自由だ。

僕自身は漫画村を使わず(アクセスしたこともない)普通に本屋で買っているが、それは別に漫画を買わないと漫画家が救われないみたいな偽善的な話ではなく、単にブラウザで漫画を読むと目が疲れるからだ。「男子高校生の日常」にハマってた小中学生時代にウェブ漫画を一時期購読していたが、長くは持たず泣く泣く紙の漫画を買った。

漫画家の印税が雀の涙だっていうのもわかるんだけど、こっちとしても紙の漫画は高すぎるし、もし目が疲れないでタダで読めるならタダで読みたいというのが正直な気持ちだ。

此処まで書いてもわからないかもしれないので一度話を整理すると、僕は漫画村を擁護しているわけではないし、正直漫画村もAnitubeもMiomioも全く使わないので潰れようと何だろうとどうでもいい。僕が言いたいのは、読者側として違法性がないものを政府の勝手で選択の自由を侵害することが間違っているということだ。取り締まるなら漫画村の運営側を取り締まるべきで、それが出来ないから読者の選択の自由を奪うという考え方には呆れ返ってる。

 

ところで、検閲だとか個人の自由の侵害だとか、そういったものに一番敏感に反応する業界というのはメディアであり出版社だ。

第四の権力」とも呼ばれるメディアは権力に対する番犬(Watchdog)として機能しているため、権力が市民の権利を押さえつけるような行為や検閲のような言論・報道・表現の自由を脅かす事例を極端に嫌う。小学館や日経など、出版社がメディアをもっていたりメディアが出版したりする日本では出版社も同じような扱いになる。マスコミや出版界隈に政権に懐疑的な人が多いのも、ある意味当然の帰結だとわかる。

そしてもしも彼らが権力に屈せず表現や報道の自由を守る意識があったとしたら、このような検閲に関わる事情に対して「政府は権力を使って自由を脅かしている」というキャンペーンをするはずだ。政府が発表したウン千億円・ウン兆円の損害が何を根拠に言っているのか全く透明でないが、兎に角短期的なメリットばかり追うのではなく長期的に自分たちのビジョンに合っているのかを大衆にはっきりと示し世論を形成することもメディアと出版社の特権だ。

僕が見ている限り、出版業界も漫画家もあまりにも静かで驚いた。

特に講談社はびっくりするほど賛同している。

http://www.kodansha.co.jp/upload/pr.kodansha.co.jp/files/180413_seimei_kaizokuban.pdf

また”緊急避難”であるこのブロッキングを導入するにあたり、カドカワ講談社のお偉いさんも意見交換会に出席したりと、今回の案件に深く関わっているのが伺える。彼らは自らの権利を主張する絶好の機会だと思わなかったのか?

 

そもそも”緊急避難”などする前に出来ることは山ほどあったはずだ。例えば、Netflixが多数の映画をいくらでも視聴できるようになってから、アメリカに置ける違法ダウンロードの数は激減したという。漫画やアニメだって似たような取り組みが出来たのではないか。

僕がさっき言ったように、漫画家やアニメーターが食っていくのに必要な金と消費者が払いたいと思う金額が全く釣り合ってないことだって些細な問題ではない。特に子どもが持ってる金なんてせいぜいお小遣い程度なので、大人の給料を基準に”漫画を買え!アニメは円盤買って見ろ!お前らがクリエーターを殺してる!”というのは少々無理がある気がする。

本当に政府が”クールジャパン”を根拠に漫画やアニメが重要な産業だと考えているのならば、子どもが買いやすいような値段で売れるよう出版社に補助金を出すことだって出来たはずだ。国が渋るのならば、出版社側が結託して経産省にお願いすればいい。ねとらぼみたいなサイトが漫画村の広告代理店を凸れるわけだから、出版側が頑張れば広告を止めるように訴えることだってできた。即興で言っても解決方法は出てくる。

先程から言っているように、読者側の行動に責任があるとは到底思えない。0円のコンテンツと500円の同じコンテンツがあったとしたら、僕のように特別な事情がない限り大抵の読者は0円の方を選ぶ。市場経済では当たり前の理論だ。問題は売り手がどのようにして500円のコンテンツを買うインセンティブを生み出すか、そしてどのようにして0円のコンテンツを潰すかということだ。僕は読者に問題がないと言っているが、当然0円のコンテンツを公開している人達には問題があるので。

まともな対策を講じなかったのに、現状の問題の責任を読者の行動になすりつけて"緊急避難"と呼ぶなど笑わせるなと思う。

 

少なくとも今回の案件だけで直接言論・表現の自由が脅かせるとは到底思えないが、何を根拠に海賊版サイトが経済的コストを生み出していると言うのか納得が行く説明をされてないので、この案件を元に”政府が不都合だと感じたものを’緊急避難’を根拠に一方的に遮断できる環境が整った”と言っても過言ではない。つまり、政府にとって不都合な記事を作ったり番組を作ったりした時に”緊急避難”だから弾圧するね、ということが出来ることになったのだ。

カドカワ講談社は、今回の決定で自身のコンテンツが”守られた”ことについてどう思っているのだろうか?ワイングラスでも回しながら、自分の本職を忘れてニヤニヤしていたのだろうか?

僕には特にこの2つの出版社がカモネギにしか見えない。”お前たちの利益は守ってやるよ、その代わり表現と出版の自由は没収な”と政府に言われてホイホイついていく怠け者でしかない。

政府としては、このような出版社にある意味「貸し」を作ったことになる。今後仮に今の政府が独裁政権チックに走ったとしても、そこに出版社やメディアが言論の自由を盾に口出しできない口実を作ったということだ。

 

政府の巧妙な罠によって、出版社や一部のメディアが政府の犬と化した今回の案件。それもこれも、漫画村村長や読者、ましては政府や自民党のせいではない。出版社があぐらをかいて自身の義務を忘れたことに起因する。

出版業界の連中は、いい加減自分たちが恥ずかしい存在であるということに気づいてほしい。漫画村を潰したことで鬼の首を取ったような態度をしているが、今後本当に政府がおかしなことをした時に最後の砦になるのは表現の自由であるということを忘れないでいただきたい。最後に困惑するのは他でもない彼らの読者だから。

閃の軌跡改 無印と比べて【ネタバレほぼなし】

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閃の軌跡改を買って数時間プレイしたのでとりあえずすごく簡潔な感想を書くよ。十数年以上前にプレイ済みなのでストーリーについては完全に割愛。ストーリーに直接関連するネタバレはしないつもりだけど、地名とかキャラ名とかは少し出すよ。あと閃IIIのスクショも一枚だけ出すけど、酷いネタバレにはならないはず。ネタバレが本当に許せない人はブラウザバックして閃IIIを先に終わらせるといいかも。

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成長しなかった

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僕は「誰かと会いたいから」という理由で退学したわけではないが、日本に帰国すれば珍しいメンツと会えるだろうなあとは少し目論んでいた。そのうちの一つで、小学校以来の地元の旧友と会うことが出来た。

「地元」と呼べる土地が僕にはないのかもしれない。6年間は同じ小学校に通ったが、その後は私立中学に通ったため地元の同級生との縁はない。そもそも学年の大半の人に嫌われていたため過半数が来たという同窓会にも誘われず、もちろん成人式にも出席しなかった。

そんな不人気の僕でも未だに繋がっているのが当時の「パソコンクラブ」で一緒だったおぺるぁ氏(@Opera_Two)といざなぎ氏(@IZ7G)だ。僕が小5の時に2人は6年生で、いざなぎ氏が部長、おぺるぁ氏と僕が副部長を務めていた。

僕の中では一番長い付き合いの2人。サシで会ったりはしてたんだが、3人揃って会ったのは実は2人が卒業してから初めてだったりする。

つまり、10年以来の再会だったわけだ。

再会、と言っても椅子に座ってダラダラ話すだけだった。ただ、当時ちびっ子だった僕らがジョッキを片手に笑ってる姿は10年前の僕は想像できなかった。

僕らは元々別々のクラスにいたのだが、全てのクラスが学級崩壊みたいになっていた。所謂クソガキだった僕たちは気づいたら3人とも20代になっていて、会話の中に就活という言葉すら出てくるようになった。

 

じゃあ僕は成長したと言われると、あまりそんなことはない。僕は精神的には当時から何一つ変わっていない。

僕は子供の頃からずっと一般常識やルールを守れなかった。ルールが理解できないというよりは、何故ルールを守ってまで窮屈な思いをしなければいけないのかが疑問だった。最近になってやっと憲法や法律が国家レベルで重要なのか理解し始めたが、ミクロな話になった途端に頭が真っ白になる。

当然校則なんか全く無意味だと思っていたので、特に小6の僕は指定の帽子は一度も買わないわ授業をボイコットするわ休み時間じゃない時間に校庭で竹馬に乗るわ癇癪玉を投げるわ体育館の舞台裏を荒らすわで本当に問題児をしていた。これに関しては先生や周りの同級生と何度も衝突した末の話なのだが、この話の前から周りと波長は一度も合わなかった。当時の僕は何もかもが上手く行かずパニック状態になっていて、周りが正義とするものの正反対に意識的に立っていた。

そんな僕が10年以上経った今何をしているかというと、社会では当たり前とされる「一度入った学校は最後まで責任を持って卒業する」といったことは出来ないし、興味がない事や人には一切かかわらない本当にどうしようもなく不適合な人に育ってしまった。

とにかく何一つ成長していない。周囲が決めた善悪の基準に自分の頭がついていっていないのは小学校から変わっていない。

 

こんな自分の現状を振り返って、治そうとか変えようとかという意識があるかというと全くない。というのも数ヶ月前は恐らく微妙にあったのだが、退学を決めてからほとんど吹っ切れてしまった。

周囲の環境に適合出来ない話をすると意外と共感してくれる人というのは一定数存在して、昨日会った旧友ももちろん含まれる。僕の小さい頃の姿を知っているので、どういった経緯で大学を辞めたのか、これから何をするのかをあれこれ提示しなくてもはっきりと分かってもらえた。2人はある程度僕に近い視点を持っているので、あれこれ言語化しなくても伝わる。

というよりも、僕が知ってる限り両氏は「量産型いい子ちゃん日本人」からは程遠い存在で、不適合かどうかは知らないが少なくとも周囲に対してかなり批判的だった。ちょっと変わってるけど非常に聡明で話も面白く、先輩として昔から僕の憧れだ。ずっとタメ語だけど。

もしも僕が社会に適合しようと努力したら。少なくとも今の二人を面白いとは考えないだろうし、他で今まで何気なくつるんできた仲間との関係も取るに取らないものになるかもしれない。

アメリカ、中国、日本……どの社会を取っても「いい子ちゃんモデル」と言うのは必ず存在していて、そういった連中は必然的にクソほど面白くない。そして社会に頑張って適合するということは、いい子ちゃんを演じて大人の常識に媚を売ることの他ならない。

それはとてもつまらないことだと思うし、だからこそ不適合で良かったとさえ思える。

彼らと話している時間を楽しいと思える間はまだ救いがある。僕は社会性を犠牲にして面白い人を面白いと認知する権利を持っているのだ。

 

居酒屋に行く途中、僕が通っていた小学校を見つけた。私立中学や海外の大学に通っていたのもあり、こんなところ滅多に通らない。毎朝使っていた大きい正門はハーフサイズに見えた。無理もない、僕はあの頃から40cm程背が伸びている。

しかし僕自信は何一つ成長していない。物理的には遠いが、心理的にはには当時の僕と密接な場所にいる。そしてそれはこの上ない喜びなのかもしれない。

 

僕はリスポーン地点に戻った。自分が成長していない事を再確認出来たことは実は悪いことではない。今までの自分の行動を振り返ってこれから何をしようか考えようと思う。