偏差値2那由多

一般男性の公開ポエム

成長しなかった

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僕は「誰かと会いたいから」という理由で退学したわけではないが、日本に帰国すれば珍しいメンツと会えるだろうなあとは少し目論んでいた。そのうちの一つで、小学校以来の地元の旧友と会うことが出来た。

「地元」と呼べる土地が僕にはないのかもしれない。6年間は同じ小学校に通ったが、その後は私立中学に通ったため地元の同級生との縁はない。そもそも学年の大半の人に嫌われていたため過半数が来たという同窓会にも誘われず、もちろん成人式にも出席しなかった。

そんな不人気の僕でも未だに繋がっているのが当時の「パソコンクラブ」で一緒だったおぺるぁ氏(@Opera_Two)といざなぎ氏(@IZ7G)だ。僕が小5の時に2人は6年生で、いざなぎ氏が部長、おぺるぁ氏と僕が副部長を務めていた。

僕の中では一番長い付き合いの2人。サシで会ったりはしてたんだが、3人揃って会ったのは実は2人が卒業してから初めてだったりする。

つまり、10年以来の再会だったわけだ。

再会、と言っても椅子に座ってダラダラ話すだけだった。ただ、当時ちびっ子だった僕らがジョッキを片手に笑ってる姿は10年前の僕は想像できなかった。

僕らは元々別々のクラスにいたのだが、全てのクラスが学級崩壊みたいになっていた。所謂クソガキだった僕たちは気づいたら3人とも20代になっていて、会話の中に就活という言葉すら出てくるようになった。

 

じゃあ僕は成長したと言われると、あまりそんなことはない。僕は精神的には当時から何一つ変わっていない。

僕は子供の頃からずっと一般常識やルールを守れなかった。ルールが理解できないというよりは、何故ルールを守ってまで窮屈な思いをしなければいけないのかが疑問だった。最近になってやっと憲法や法律が国家レベルで重要なのか理解し始めたが、ミクロな話になった途端に頭が真っ白になる。

当然校則なんか全く無意味だと思っていたので、特に小6の僕は指定の帽子は一度も買わないわ授業をボイコットするわ休み時間じゃない時間に校庭で竹馬に乗るわ癇癪玉を投げるわ体育館の舞台裏を荒らすわで本当に問題児をしていた。これに関しては先生や周りの同級生と何度も衝突した末の話なのだが、この話の前から周りと波長は一度も合わなかった。当時の僕は何もかもが上手く行かずパニック状態になっていて、周りが正義とするものの正反対に意識的に立っていた。

そんな僕が10年以上経った今何をしているかというと、社会では当たり前とされる「一度入った学校は最後まで責任を持って卒業する」といったことは出来ないし、興味がない事や人には一切かかわらない本当にどうしようもなく不適合な人に育ってしまった。

とにかく何一つ成長していない。周囲が決めた善悪の基準に自分の頭がついていっていないのは小学校から変わっていない。

 

こんな自分の現状を振り返って、治そうとか変えようとかという意識があるかというと全くない。というのも数ヶ月前は恐らく微妙にあったのだが、退学を決めてからほとんど吹っ切れてしまった。

周囲の環境に適合出来ない話をすると意外と共感してくれる人というのは一定数存在して、昨日会った旧友ももちろん含まれる。僕の小さい頃の姿を知っているので、どういった経緯で大学を辞めたのか、これから何をするのかをあれこれ提示しなくてもはっきりと分かってもらえた。2人はある程度僕に近い視点を持っているので、あれこれ言語化しなくても伝わる。

というよりも、僕が知ってる限り両氏は「量産型いい子ちゃん日本人」からは程遠い存在で、不適合かどうかは知らないが少なくとも周囲に対してかなり批判的だった。ちょっと変わってるけど非常に聡明で話も面白く、先輩として昔から僕の憧れだ。ずっとタメ語だけど。

もしも僕が社会に適合しようと努力したら。少なくとも今の二人を面白いとは考えないだろうし、他で今まで何気なくつるんできた仲間との関係も取るに取らないものになるかもしれない。

アメリカ、中国、日本……どの社会を取っても「いい子ちゃんモデル」と言うのは必ず存在していて、そういった連中は必然的にクソほど面白くない。そして社会に頑張って適合するということは、いい子ちゃんを演じて大人の常識に媚を売ることの他ならない。

それはとてもつまらないことだと思うし、だからこそ不適合で良かったとさえ思える。

彼らと話している時間を楽しいと思える間はまだ救いがある。僕は社会性を犠牲にして面白い人を面白いと認知する権利を持っているのだ。

 

居酒屋に行く途中、僕が通っていた小学校を見つけた。私立中学や海外の大学に通っていたのもあり、こんなところ滅多に通らない。毎朝使っていた大きい正門はハーフサイズに見えた。無理もない、僕はあの頃から40cm程背が伸びている。

しかし僕自信は何一つ成長していない。物理的には遠いが、心理的にはには当時の僕と密接な場所にいる。そしてそれはこの上ない喜びなのかもしれない。

 

僕はリスポーン地点に戻った。自分が成長していない事を再確認出来たことは実は悪いことではない。今までの自分の行動を振り返ってこれから何をしようか考えようと思う。

【翻訳】エドワード・スノーデンはヒーローか?

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もう5年も前のことになるが、元国家安全保障局(NSA: National Security Agency)職員のエドワード・スノーデンが香港のホテルにてガーディアン紙やジャーナリストのグレン・グリーンウォルド氏にNSAが行う様々な事業を告発した。スノーデンが暴露した情報はPRISMと呼ばれるGoogleFacebookが関わる個人情報のメタデータを回収する事業や大使館の盗聴などが含まれる。日本では大きな問題とされなかったが、アメリカや他の欧米諸国では一面スクープとなった。知らなかったけど興味があるよという人はWikipediaを読むなりNetflixでスノーデンの映画を見るなどすればいいだろう。

エドワード・スノーデン - Wikipedia

 

この事例について面白い議論をYoutubeで見つけたので翻訳して共有しようと思う。

一人はクリス・ヘッジス氏。米ニューヨーク・タイムズ紙などで特派員だった彼はピューリッツァー賞を受賞している。参考までに、ピューリッツァー賞とはジャーナリズム界隈のノーベル賞と考えても良いだろう。

もう一人はジェフェリー・ストーン氏。米シカゴ大学の法学部総長で、オバマ前大統領の顧問弁護士としても活躍した。

なお、このデモクラシー・ナウ!には二人のリポーターがいるが、此処では同じ「リポーター」として一人の人物の扱いとする。00:05から18:59までを翻訳する。読むのが面倒な人はスクロールすれば要約があるよ。

 

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大学を中退した

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i5nb.hateblo.jp

前回退学をしようという話を書いたのだが、おもったよりも早く終わらせてしまった。

退学の時期に関してはあれこれ考えてから決定したんだけど、肝心の「この後何するか」に関しては完全に無計画なので少し詰んでいる。まあとりあえずなんとかします。

以前何故大学をやめたいのかについてあれこれ書いた記事を投稿したが、僕は日本で浪人して大学に入るか就職するかの二択を迫られている。とりあえず次のステップが見つかったらまた何か書こうかな。書く書くフラグを立たせて何も書いてないだろ、と存在しないツッコミを受けそうだが書く。

とりあえず無職になってしまった。まあ前々からわかってたけど。とりあえず嫌いな大学にバイバイ出来たことのほうが十分でかい。

 

僕は現実で当たり前だとされていることに堂々と逆らっている。これは誇らしいのかそれとも慎むべきなのかはわからない。

ただ、よく考えたら僕はずっと周りと波長が合わなかった。遠足とかに行くと必ず僕だけ勝手に一人行動を始めて、先生たちが探しに来た当たりにころっと元のグループに戻るような子どもだった。と言っても目を離してる時間なんて長くて20分で、その辺をぶらぶら歩いたり屋台のフランクフルトを買ったりするくらいのものだった。それでなんで勝手に別行動したのか、どこでそのソーセージを買ったのか、そもそも何故現金を持ち歩いているのかと問い詰められ適当に茶を濁していた。僕はフランクフルトを食べるところから先生に言い訳するところまで全てを楽しんでいた気がする。

今の僕は「屋台でフランクフルトを買う子どもの僕」だ。そんな自分を長いこと封印していただけで、何ら不思議はない。今だけ周りと違うルートを通ってるけど、それは決して恥ではない。フランクフルトを買った僕は先生に迷惑をかけたが、恥じることではないのと同じように。

 

退学届を提出した時、後ろめたさみたいなのは特になかった。これから暫く無職だけど、それは一時的なものできっと何をするかはすぐわかるだろう。そんな気持ちで教務課のドアを蹴り開けた。

 

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ホテル・カリフォルニア脱出おめでとう。チェックアウトは出来るが、絶対に出られない。