偏差値2那由多

一般男性の公開ポエム

アイカツ!とAmazonとテスト

アイカツ!に熱中している。

以前の記事にも書いたが、忙しい。忙しいからこそ僕は手元にある「何か」を無理やりオアシスと呼び、虚構の安堵を求める。今のそれがアイカツ!だ。

本当に捗らなかったりどうしようもないときに携帯を開いてアイカツ!を見ると心が浄化されたような錯覚を覚え不思議と作業に戻ることができる。多分、子供向けコンテンツだからこそ世の中のドロドロした側面を見ないで済むため、純粋に頑張ってる女の子を見て「自分も頑張らなきゃ」と非論理的に自身を戒めることができるからだろう。ちなみに僕の好みは紫吹蘭ちゃんです。

これのお陰で何度も助けられた。アイカツ!の制作陣には感謝しきれない。

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ただ、アイカツ!よりもありがたいものがある。それはビデオ・オン・デマンドだ。仮にビデオ・オン・デマンドが存在していなかったら、アイカツ!がそこにあったとしても僕はアクセスできなかっただろう。

NetflixAmazon videoでプライムビデオを見始めてから動画を見る効率が劇的にあがった。アイカツ!の他にも映画が豊富にあったりして、色々とアドだと感じる。

そもそも、僕は映画館があまり好きではない。1時間半も同じ画面を見続けると頭が痛くなるし、せいぜい40分程度で集中が完全に切れる。面白いシーンの途中でも集中が途切れてしまうが映画は一時停止できないので、どうも冷めてしまう。

ビデオ・オン・デマンドなら自分が好きなときに一時停止できるので便利だ。自分の集中力や頭のキャパシティと相談しながら見ることができるので、映画を見るのも苦ではない。

アニメはもっと良い。大体のアニメが24分、エンディングが始まるまでの時間が20分から22分なので、集中力の持続範囲で見れるから「もうちょっと見たいけど集中が切れてしまった」といった映画の問題点をすべて排除しているので心置きなく楽しめる。

こうして僕はAmazon videoのお陰でアイカツを好きなときにちょうどよい時間内で視聴している。極楽だ。

 

 

集中力の持続の話といえば、最近の悩みの種になっているのが試験だ。僕が今受けている試験は、運が悪ければ1日のうちに7時間テストを受けなければいけない。それが何日も続くことがあるのだ。実際に僕は月曜日から水曜日にかけてこの地獄を味わった。そのせいか体が動かず昨日(木曜日)が一日潰れてしまった。恐らく今日も体を動かすことはないだろう。

僕は彼らが何を測っているのかがわからなくなってしまった。そもそも2時間半も続けて同じ科目でテストをする必要などどこにもない。これではただのスタミナ勝負だ。

試験とは、実力を測るのが目的だ。学習の成果を見るのではなく、どれだけ体力が持つかで競い合わせるというのは実に馬鹿げた話だ。

大学受験だと「現状のセンター試験はよくない」いった議論をよく聞くが、僕は難関国立大学の二次試験で行われる「最難関クイズショー・ダブルコンボ」のほうが問題だと思う。問題の難しさではなく、二日間に渡る非常に高度な問題を前に集中が続くか続かないかで運命が決まるのはアンフェアとしか言いようがない。

 

ちなみに、海外の一部のテストでは発達障害を患う学生には、医師からの助言をもとに試験の時間を特別処置として長くすることがあるらしいが、個人的に反対だ。自分は発達障害を患ってるわけではない(少なくともそのような診断をされたことはない)から知ったかぶりを承知で言うと、長い時間テスト環境に拘束することのほうが地獄なのではないか。これでは明らかに鬼に金棒だ。それだったら問題数を減らして早く帰らせたほうが「実力を測る」という意味では正当だと思う、少なくとも「集中力の持続や精神の安定」に関する発達障害を患う学生には。

実際に昨日2時間半も拘束され、奴隷のように問題を解かされたときは「何でもいいからすべてを捨ててNaked Diveしたい」とか考えていた。

 

正確に言うと、僕はやろうと思ったら1時間強までなら集中力を持続させることは可能だ。意識的に体にたまった潜在的な力を集中力に変えることは一応できるし、魔剤やコーヒーなどカフェインが入った飲料で化学的に脳を自分の好きな状態にすることも一応できる。

ただそれをすると次の日まで疲れを持ち込んでしまうのがよろしくない。特に今みたいに数日に渡ってぼーっとしてしまうのは時間の無駄に他ならない。もし試験が長期間行われていたり試験の他に大切な用事があるならなおさらマイナスだ。

 

具体的にロジスティクスとしてどのように解決するかまではまだ明確に回答できる段階ではないが、できたらビデオ・オン・デマンドのように「自分の中で最高のコンディションで試験を受ける」ことができたらいいな、と思う。つまり、体調や生活リズム、精神の安定性などを総合評価した上で最適なタイミングで試験を受けるということだ。場所に関係なく24時間使えるインターネットは手段として最適であろう。

例えば、そもそも僕は朝が苦手なので朝が得意な人達と比べると午前の試験において僕は「不公平」な立ち位置にいると言える。だが、この「公平」とは何を基準に判断されたものなのか。現状の試験が公平性を期したものだと仮定したら、この例に反する。

 

あくまで憶測だが、試験という場において「時間が短すぎると問題の量にかかわらず全体で考える時間を減らしてしまう、これでは公平に実力を測ることができない」「全員が同じ場所で同じ時間に試験をうけることが透明性と秩序を守ることができる」といった側面が伝統的に引き継がれているのではないか。もしもそうだとしたら、一理はあると思う。

ただこの反応が、多面的な知識を紡ぐアカデミアの入り口に古くからの軍隊の風を吹かしているとも言える。つまり、同じ場所に全員を整列させ、その人の得意不得意お構いなしに決められたルールに基づいてフラットに採点するということだ。さらに、その採点しているものの大部分が学力ではなくスタミナなのだ。

軍隊ならまだしも、試験という場において全く無関係のはずだ。これは公平だろうか。極めて曖昧だ。

もちろん、これで構わないという人はそれでいいだろう。というのも、僕は「最適な環境」の話をしているので、これが最適だと思うならぜひそうしてほしい。

公平の定義が曖昧な間は一部の間では目標が達成されるが、悪ければ過半数が副作用として失敗する。そう、僕のようにこのような軍隊システムが合わない人は試験中に人一倍辛い思いをする。

 

そもそも、時間や場所を指定するということ、もしくは「公平」という概念そのものがあくまで手段だ。本来求められているものは「学力/実力を測る」ことにあるので、曖昧な定義のもとにある「公平」という概念が目的を妨げるのであれば省いてかまわないと思おう。

時間や場所に縛られずに自分がいちばん実力を発揮できるコンディションで正々堂々と試験を受けられるのであればそれでいいじゃないか。加点方式だろうと減点方式だろうと、ベストを尽くした人間のその「ベスト」を知るほうが実力を測る上では正確だ。というよりも、何も「公平」なことに拘る必要はない。

もちろん、カンニングなどの諸問題があるだろうが、目的論を議論している間に考慮されるべき問題ではない。

 

19世紀にフランスで普及した「映画」は、時代を超えてインターネットでアイカツ!を見れる時代になった。150年の時を経て「同じ場所同じ時間に縛られ同じ画面を見る」という概念から開放されたのだ。

19世紀より前からあったであろう試験は、定義されていない「公平さ」をもとに未だ軍隊のようなシステムを引き継いでいる。現状のシステム、Amazonビデオとアイカツ!のアナロジーから学べることがあるのではないか。

 

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まず、オムライス食べな。それから考えよう。

自転車にハマっている話

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最近自転車にハマっている。

高校の課外活動とか、ツイッターの身内で花見行った時以外はここ5年以上の間で1度も自転車に乗ってなかった。そもそも運動ができない人間なので、体を動かすことを楽しいと思ったことがなかった。

それが変わったのはここ数週間の話。以前も少し書いたが僕はアニメに影響されやすいオタクなので南鎌倉高校女子自転車部を見てから自転車に乗りたくなった。

 

僕は自転車を持ってないので、身内で自転車をあまり使ってない人からクロスバイクを借りることにした。最初は近場の室内プールまで往復してみて、どんな感じなのか試してみた。

僕は基本交通手段が徒歩か電車なので、その間の速度というのを長いこと経験していなかった。意識してみると不思議な速さで、歩いている人にはぶつかりそうだけど走行中の車からはぶつけられそう。そんな危急存亡な状況とは裏腹に、風をすり抜ける爽快感が合って気持ちいい。

どっぷりハマってしまった。

 

ここのところなんやかんや忙しくて家にずっと引きこもって作業してるけど、限界が来たら家を出てサイクリングに出ることにした。サイクリングと行っても8時間もひたすら林をジグザグするわけではなく、家からすぐのところを目的もなく冒険するだけのこと。

僕は家から半径数百メートル以上のところに基本的に用がないので、最寄りの駅から先に何があるのかを知らなかった。他の駅も、駅の周りのコンビニやチェーン店の位置を把握している程度で、その場所が一体どういう場所なのかについて深く考えたことは一度もなかった。また、最寄りの駅から別の駅まで「電車がつながっている感覚」はあるけれど、物理的につながっている感覚はなかった。

それが自転車にのることでつながってきた。RPGで隣町に行く道が開放されたような感覚だ。この道がどこにつながっている、この小道は隣の大通りにつながっているんだ、といった地理的な情報が頭のなかでつながってきた気がする。

 

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近場も飽きてきて、少し遠くに行くようにもなってきた。遠くと行っても、忙しいと言えば忙しいので、自宅から半径20km以上のところには行かないが。基本的に必要な作業用具を持っていって、サイクリングに疲れたらマックやファミレス、もしくはカフェで勉強するといった事を毎日している。

南鎌倉高校女子自転車部でひろみが「自転車は不思議だ」と言った。まだにわかの僕でも同意できる。歩くよりは速く電車よりは遅い微妙なスピード感が、思ったより遠くについたときの達成感につながる。疲れよりも達成感のほうが大きいので気分もいい。こんなに楽しいならもっと早くに自転車に乗ればよかったとさえ思える。

 

 

 

個人的には「自転車は素晴らしいからみんなも乗ろう」といった美談にした方たのだが、実はそううまく行かなかった。

 

先日自転車に乗った帰りに坂道を下る際、間違えて前輪にブレーキを掛けてしまい横転し、頭を打って怪我をしてしまった。

ヘルメットをしていたので最初の衝撃は抑えられたが、反動で大きめだったヘルメットがずれてしまい、2度めの衝撃で頭に傷を負ってしまった。

大した傷ではなかったのだが、首もむち打ちみたいになってしまった。また、何故かあとで熱を測ったら高熱だったので、脳外科に検査に行くほどの大事になってしまった(頭を打って熱を出すことはないので、たまたま同じ日に風邪を引いただけだとあとでわかったが)。

要するに何を言いたいかって、調子に乗りすぎてもいけないってことですよ。ヘルメットは大事ですよ。

 

 

 

そんなことがあっても傷が治ってきてまた自転車に乗りたくなってきた。やっぱり自転車は不思議だ。

まあちゃんと気をつけていれば大きな怪我をすることはないと思うのでみなさんも乗ってみたらいいと思いますよ。ちゃんとヘルメットを付けて水を飲んでこまめに休憩をするような健康で安全なライドは楽しいはず。特に運動不足のオタクにはおすすめ。脚の力だけで知らない土地に行けるなんてワクワクするでしょ。

 

 

 

2017冬アニメ感想

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2017年の冬(1月から3月)のアニメで面白かったのを幾つか簡潔にまとめようと思う。

 

1. 亜人ちゃんは語りたい

ぶっちぎりの優勝作品。実は1話が単調だったので一度切ったが、後日テレビでたまたまやっていたのを見てAmazonプライムで見直したらハマってしまった。

別のところで少し書いたが、これは「萌えアニメの殻をかぶった道徳アニメ」だった。「亜人」というフィクションの存在を代入することによって、マイノリティ問題に対する一つの意見と解釈できる。最悪だった高校の道徳の授業よりもこちらのアニメのほうが道徳について考えさせてくれる意外な作品だった。あとで見直したいと思えるほど好きなアニメがいくつかあるけど、久々に更新された。がっこうぐらし!以来。

 

2.Chaos;Child

妄想科学ADVシリーズの第四弾のアニメ化。カオヘの延長線上なのかな。あまりカオヘのことは覚えていないけど。

シュタゲやロボノもそうだけど、妄想科学ADVって一貫して主人公に感情移入しづらい気がする。だからこそ傍観者的な視点で見れるから面白い。最終話のあたりで全く話がわからなくなったから、夏休みにゲームを買おうと決意した。個人的に印象深いのは、「生きること」に「目的」を無理やりこじつける矛盾に感情的な要素を結びつけたこと。血が流れなくともこれは辛いよなあって見てて思った。

ちなみにアニメのEDは素晴らしかったと思う。

 

3. 南鎌倉高校女子自転車部

亜人ちゃんと同じく、後になって好きになった作品。漫画の雰囲気とちょっと違って1話で切ってしまったが、Netflixで再視聴。

亜人ちゃんやChaos;Childみたいな思いは特にないけど、「自転車って面白そう!」って素直に思える作品だった。漫画のほうが雰囲気は好きなんだけど、チープな作画の反面、リアルに存在する場所をきれいに映してくれたりとして個人的な感情を移入しやすかった。ちなみにアニメに影響されやすいオタクなので、南鎌倉高校女子自転車部を見てから毎日自転車乗ってます。この話、あとでまた書きたい。あとロードいつか欲しい。

 

4. その他

ほかも色々見ていたけど、この上の3つを超える作品はなかったかな。強いて言うならRewriteはわけがわからなすぎて、でも今まで見た12時間を返してほしいのでゲームを購入しようと思う。ガヴドロは面白かったんだけど、サターニャいじめがつらすぎた。セイレンは常木さんにガチ恋したんだけど、常木さん回が終わってからウザくなってきたので途中からほとんど覚えていない。

 

で、

今期は非常に忙しいのでなるべくアニメは見ないようにします。

 

 

 

文化人に憧れている

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昔から専門家に憧れていた。小さい頃はお笑いやバラエティ番組を自由に見る人権がなかったので、どちらかと言うとドキュメンタリー番組や社会的な番組をテレビでよく見ていたのだが、そのような番組で必ず一人は出てくる専門家がかっこいいと思っていた。番組の司会が話を振ると臨機応変に的確で簡潔な回答ができるという能力がかっこいいと常に思っていた。池上彰は好きではないが知識で武装して大衆を圧倒する姿は今でもかっこいいと思う。

似たように文化人に対する憧れが体が大きくなるに連れて膨れ上がった。といっても、文化人に憧れたのは割りと最近で、昔は「浅く広く」という概念を肯定していなかった。中学受験の算数は楽しかったが、中学に入ってからそこまで使う機会がなかったので、小学生時代にあそこまで必死に算数をやった意義が見いだせなかった。中学生の頃は化学と経済が得意だったが、「こんな実用性のないこと習って何になるんだろう」と常に思っていた。高校に入ってすぐにマクベスなどの英文学をやったが、遠い昔の重度厨二病患者が書いた戯言に全く魅力を感じず、適当に読んだふりをして授業に出ていた(ちなみにシェークスピアは意味のない謎の英単語を数多く量産し、その「よくわからない英単語」が現在でもよく使われる単語になっていたりする)。

結局いつもつまらないことがつまらないといった顔で登校し、友達がいるわけでもないのでなるべく存在感を消して授業を適当に聞いていた。「意義が見いだせない」ものをとことんやり続ける教育に嫌気が差していた。学問に対する賞賛がなかったので言うほど賢くなく、専門性と実用性だけがかっこいいと思っていた。

 

そんな僕に転機が訪れたのはここ最近の話。僕に人生のロールモデルができたのだ。僕の言うロールモデルは、実在しない物語上の人物だ。ちなみに実在する人物のロールモデルもいるが、ここでは割愛。今から話す二人の言動や性格から、僕も文化人になりたいなと思い始めた。

 

一人目は小説「古典部シリーズ」に登場する折木奉太郎だ。アニメ「氷菓」の主人公でもある。「やらなくてもいいことはやらない、やるべきことは手短に」をモットーにする奉太郎だが、高校に入ってすぐ姉に勧められて入部した「古典部」にて不覚にも様々なトラブルに巻き込まれ、嫌々ながらそのトラブルを推理し解決していくという物語だ。トラブルと言っても殺人や放火といった物騒な怪奇事件ではなく、身近に起きたちょっとした謎を解決していくといったほうが正しいかもしれない。

僕からして奉太郎の好きなところは、出るときには誠意を持って話すこと。特に「愚者のエンドロール」の序盤で不承不承映画のミステリーを解く奉太郎とは裏腹に、終盤で真実を暴こうとするが故に感情と理性の歯車が回らなくなりつい声を荒げているところには惹かれた。義理も廃ればこの世も闇というが、彼も自分のモットーと「罪」に対する矛盾と戦っているように見えた。

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もう一人は八重垣えりか。僕が最近遊んでいるゲーム「Flowers 夏編」の主人公の車椅子に乗った女の子だ。Flowersは百合と推理を統合したようなゲームのシリーズ。女子専用のミッションスクールにて女の子たちが学園内で起こる奇妙な事件を体験し、それを主人公が推理して暴いていくと言うもの。前作の春編はコミュ障っぽい少女が主人公だったが、今回もとっつきにくく非常にひねくれた女の子なのだが、実は色々とおもしろい。人嫌いで書痴で皮肉屋でだけど実はちょっと心配性だったりして人間臭いところも垣間見るから非常に面白い。

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二人とも僕は大好きだしロールモデルだと思っている。奉太郎の論理力と一貫性には憧れがあるし、えりかの冷めきった目は僕が常に感じる焦燥感を排除していて非常に清々しい。

だが、それ以上に二人にはある共通点があると思う ーそう、文化人であることだ。

 

そもそも僕が呼ぶ文化人とは一般の文化人の定義とは決定的に異なる気がする。一般的な文化人とは、前述した「専門家」に近い意味合いがある気がする。強いて言うなら「文化の専門家」といったらしっくりくるのではないだろうか。日本舞踊について詳しかったり落語家だったりと言ったところだろうか。文化という言葉がサブカルチャーも含んだ意味合いとなっているためか、原宿などの現代的なファッションに通なタレントなども最近は文化人として扱われているのかもしれない。

僕が呼ぶ文化人とは、専門家と逆の位置に立つ人間だ。一つの分野に詳しいというよりは、浅く広い知識を持っている人たち、教養がある人間だ。そういった人間は、何かしら文化的な知識を持っていることが多い。また、僕の想像する文化人は論理的思考が発達しており、自分の持つ教養をどこで応用するのかをよく理解している。折木奉太郎や八重垣えりかは同じようなケースだろう。

特にえりかは本の虫ということもあり、常に「文化人らしい」振る舞いをしている。「ホテルカリフォルニア」といった西洋音楽から「論語」「中庸」と言った儒教の教えまで、幅広いボキャブラリーを駆使し難しい皮肉を披露する。(これはもちろん作者の書き方にも影響されているのだろうけれども)奉太郎も小説の中では使う言葉の幅が広い。心情の変化に使う形容詞が正確なのだ。ちなみに奉太郎も読書が趣味だという。

 

そんな二人は共通して、物語の探偵役になる。探偵といっても、物騒な事件を追うのではなく日常の気がかりな問題を解決するだけだが。

文化人である奉太郎とえりかは、一見草の根を分けて探すような行動に見えて実は効率よく動いている。「連峰は晴れているか」にて、奉太郎は自分が推理した上で出した「嫌な結末」を検証するためにわざわざ図書館まで出向いて資料を漁った。一方のえりかも自分の推理を検証するため、教師の家の鍵を針金を使いこじ開けたりした。二人の行動は少し遠回りに見えるが、あくまで推論を証明する目的で行動しただけであって無駄足ではない。論理が先に来て行動が裏付けに使われる。教養がある人は行動がエレガントだ。

 

彼らの行動パターンも面白い。ニクソン政権で中華人民共和国と水面下で国交を成立したヘンリー・キッシンジャーは著書の"On China"にて東洋と西洋の戦略の違いを「囲碁とチェスの違いだ」と説明した。西洋のチェスは目の前にすべての駒が揃った状態で戦略をたてる。それに対し、東洋の遊びである囲碁では目の前に何もない状態で始める。そして相手を負かすために数手先を見据えて相手を「囲う」のだ。

実はこの東洋的戦略は僕の思う文化人のよくある特徴だ。奉太郎は「クドリャフカの順番」にて犯人に密かに近づき、自分の考えるクライマックスに事を傾けた。同じくえりかも公共の場で糾弾するようなふりをしつつ、後日犯人に接近し真実に迫ることが何度もあった。

僕の勝手な解釈だが、物事を高い精度で推測できるだけの論理的思考を持つため、情報が限られた状態で必要なツールを推測し、切り札を使う時と場所を正確に理解している。残念ながら今の段階で論理的にこの事象を説明できないのだが、一つ言えるのは文化人は知恵が非常に発達している。僕のような非文化人が燃費良く情報を収集し相手を「囲う」ことはできない。これは教養と知恵からきているのではないかと推測している。うまく説明できないのは否めないが。

 

また、幅広い知識を持つ文化人は比喩に使えるボキャブラリーの幅が大きい。えりかについて前述したが、僕の想像する文化人は論理的説明に必ず比喩を使う。これは、自分の考えを一般論で語るのが不可能なときに比較的近いニュアンスの代替的表現をするためだ。僕はそれができない。比喩を出すのがうまくないというより、文化人ではないからだ。いいアイデアが出てきても、相手に上手く伝達するのにひたすら時間がかかるのが厭で仕方がない。

 

僕の思ったことを殴り書きしたが、実際に僕の想像する文化人は「エレガントさ」「東洋人的戦略」「幅広いボキャブラリーを駆使する」の3つのクオリティが例外的に高いのだ。奉太郎とえりかの例しか挙げてないが、似たような人間やキャラクターを一人思い浮かべるといい。この評価基準をすべて満たしているはずだ。

僕はそんな文化人に最近憧れている。僕は何かと不器用で、目の前にあるものからですら戦略を立てるのが上手くなく、そして比喩に使えるボキャブラリーが少ない。どうやったらこの3つのクオリティを底上げできるのかが疑問である。

「本を読めばいいじゃないか」と言われそうだが、ここまで固くなった頭が読書を始めたからと言って大きく成長するのか自信がないし。うーん。

 

非常に忙しい

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最近忙しすぎて磯になってる。やることが以前の何倍にもなりそう。雪が溶けてぽかぽかしてきたのでそろそろ本気出す。

5月半ば過ぎたら少し遅めの冬眠に入ります。退学を司る勇者になって帰ってくるからな。 

@Musashi-Koyama arcade. Photo taken by me on 3/4/2017. 

退学したい

思ったことまとめ。 感情論なのでまとまりが全くないです。

そういえばこんなこともあったな。退学届ちゃんと受理されたやつ。退学届を出した瞬間が人生で一番輝いていた気がする。

 

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思えば昔からがっこうが大嫌いだ。小学校も中学校も高校も嫌いだった。

多分友達も多くはないけどいて楽しい時間もあったんだろうけど、大体は嫌な思い出に流され嫌な記憶だけが残ってる気がする。嫌なことが多すぎて小学校とか中学校のことなんてほとんど覚えてないし、高校のこともあと1年もすれば完全に忘れる気がする。多分。

よく考えたら、自分の居場所っぽいところがあったことが一度もない。正確に言うと、さっき言った「多くはない」友達と転々と遊んでる。いろいろな場所を転々しているから会える回数は少ないけど、その分会う時間は大切にしているつもり。

ただ、自分がいる場所(がっこうなり職場なり)を「自分の居場所」と位置づけたことが一度もない。今のがっこうは明らかに自分の居場所ではないし、はやく退学したい。

 

あと、授業のスピードとかも昔から嫌い。普通に自習したほうが早いものと、早すぎて自習したほうが手っ取り早いのばっかりだった。退学したほうが早い。

1時間2時間授業に集中するのも無理。大体30分くらいで集中切れていつも教室を勝手に出て廊下をぷらぷら歩いて怒られてた。そんな感じで、退学したい。

 

ものすごい親不孝なことになるが、現在がっこうで情報系を勉強しているが、諸事情によりうんざりしてきたので今更ながら文系に変わりそうになってる。詳しくは色々と決まり次第あとでまとめる。退学したい。

 

 

20:00から必見。

退学。

こっちに移動する

ブログを書こうと思ってi5nb.github.ioというサイトを作ったのだが、全部githubを経由してファイルを上げていくのがだるくなったので1年近く放置していた。

 

ちなみにブログを書こうと思った経緯はこちらに書かれている。別に大した理由ではない。

 

Twitterだと140文字の制限があるから長々とたくさんの情報を入れるにはあまり向いていないし、かといって他に書くプラットフォームがなかったりするから。Noteというサイトもあるが、自治をしている感覚があまりないのでそこまでだった。

 

そこでフォロワーの何人かがはてなはいいよ、と言ってたので試してみたところ、思ったより使い勝手が良かったのでこっちに移行しようと思う。

 

かといって三日坊主なのは否めないので、気が向いたら書く。気が向かなかったら書かない。別に無理に続ける必要もないと思うので。チラシの裏に殴り書きする感じで適当なこと書いていこうと思います。