偏差値2那由多

一般男性の公開ポエム

【Flowers秋編感想】八代譲葉先輩には共感したくない【ネタバレあり】

Flowers秋編を攻略したので何時もの如くまとまりのない感想を書く。思いついたことをボンボン並べるだけだからマジですごく読みづらいよ。

ちなみにPSVitaでトロコン済み。いつも通りだけどネタバレしかしないつもりなので、ストーリーに触れたくない人はブラウザバック推奨。 

f:id:i5nb:20180314153021j:plain

  

個人的に、ストーリーだけで見たらFlowersシリーズの中で一番印象深いかもしれない。シリーズの中でとはいっても春夏秋しか遊んでないから比べるサンプルが少なすぎるんだけど、それでも一番印象深い作品になった。

僕がこの作品に魅力を感じる理由は簡単に言うと

  1. ストーリーの重さ
  2. 譲葉、えりか、蘇芳が揃ったときの無敵感
  3. 僕が感情移入できるか否か

の3つだ。

 

まずストーリーの重さに関しては言うまでもないかと。春や夏とは違い、今作の主人公である譲葉は物語の序盤から自分がレズビアンであることを断言している。だから蘇芳やえりかのような”カジュアル”な感情の変化はもう見れないことがプレイ開始後数十分でわかってしまった。

そもそもゲームの構図がわかった瞬間にひっくり返ってしまった。決めつけな言い方ではあるが、林檎やえりかが言うように僕は譲葉は”中性的”な人だと勘違いしていた。そしてネリネマザーテレサのような、何でも人に尽くす人物だと思い込んでいた。だからネリネキリスト教の教えと譲葉への恋心で葛藤し、ちょっとずつ譲葉が応える話だと思いこんでいた。実際は真逆で、同性愛者の譲葉がネリネへの想いと信仰への冒涜で煩悩を生むという話だった。なるほど、これは重い。

しかももっと何が重いって、譲葉とネリネの過去なんだよな。ネリネが面白半分で譲葉を洗礼させた過去があるってのを知った瞬間「いや物語とは言えあかんでしょそれ!!」って思ってしまった。

多分、ネリネには同性愛の概念が、譲葉には信仰の精神そのものが理解できてなかったんだろうなあ。この辺が「仲はいいんだけど噛み合ってない」感をぷんぷん漂わせてた。

f:id:i5nb:20180315132121j:plain

古代ギリシャでは愛の形は4種類あると言われていた。えりかと千鳥の関係がPhilia(友人関係の延長線上のようなもの)だとしたら、(罪の意識があるとはいえ少なくとも今は)ネリネから譲葉に対する想いはAgape(無条件の愛)であるのに対し、譲葉がネリネに抱いていたものは一貫してエロスなんだろう。この齟齬が原因で譲葉とネリネだけでなく沙沙貴姉妹も巻き込んでいたと言うのは本当に難しい。

ネリネに一度振られ失意の中林檎と付き合う姿は見ててすごく辛かった。自暴自棄になってもなお強がって逃げてないふりをするのは、何かを常に切り崩している証拠だ。そんなの見てて痛くない訳がない。

f:id:i5nb:20180315011954j:plain

f:id:i5nb:20180315012012j:plain

というよりも、今作は全体的に「妥協」がテーマの作品なのかなとさえ思えてくる。譲葉もネリネも林檎も苺も、何か大事なものを守るために他の何かを犠牲にして心を保っていた。

沙沙貴林檎はずっと苺の気持ちを守るために自分の能力を捨ててきた。苺は妹の気持ちを守るために譲葉への恋心を中途半端に諦めた。譲葉はネリネを守るために自己を犠牲にして生きてきた。

Trueエンドでネリネは信仰を諦めて譲葉を選んだ。まさかノエルの後の駆け落ちエンドとは思ってもいなかったが、これも物語の構成上一貫性がある。みんな自己犠牲をしてたくさん傷ついて、それでも何かを選ぼうと藻掻いたという物語だからだ。

ここまで登場人物の暗い内面を覗くと人間味があって面白い。人の心を表現することに卓越したライターが頑張ったんだろうなあというのが伺えるし、それがこの作品を魅力的にしている一つの理由だと思う。

 

f:id:i5nb:20180316012341j:plain

僕がこの作品でもう一つすごく気に入ったものは、えりかと蘇芳との関係だ。

少なくとも今作で何故えりかが夏編の主人公を演じ、わざわざ考崎千鳥という新しい登場人物を必要があったのかを明確に示した。

失意の蘇芳は主人公としてありえないので、蘇芳並のスペックを持っている人物が主人公に為り、マユリと引き合わせなければいけない。となると、残るのはえりかか譲葉になるわけだ。

えりかは文化人としての高い教養と引き換えに非常に内向きな性格と車椅子生活というハンデがあるため、あのキレのある頭を借りる時えりか単体だと操作が難しいのだ。だから夏編で千鳥をアミティエにすることで、殻にこもりがちなえりかを外に引っ張ることで補完した。夏編で行動が可能になったえりかは千鳥を脚にして動けるようになった。譲葉視点の今作でえりかの頭を借りれるということは非常にでかい。

僕は今作でえりか視点があってもいいのでは、と思うくらいにえりかが積極的に動いてて感心した。だって知らない所でしれっと推理してんだもん。譲葉が直接言ったわけではないのに、林檎と付き合う時に忠告したり、ネリネとどう接するべきか方向性を指示したりした。全部状況証拠に基づいて推理して状況判断し、その上で的確なアドバイスを出すえりかはすごく心強かった。えりかと千鳥なしでは秋編はありえないし、だからこそ夏編でえりかが主人公に抜擢された理由も伺える。

特にネリネのアリバイを披露した後の譲葉、えりか、蘇芳の3人の集まりは無敵感しかなかった。思うに、3人は3つの強さを2人で共有して持ってる気がする。つまり

  • 教養:えりか、蘇芳
  • カリスマ:蘇芳、譲葉
  • 根性:譲葉、えりか

これには多少賛否両論はあるだろうが、あのアフターパーティーで感じたのは「別々の主人公がお互いの弱さを補完している」ということだった。少なくとも一番感じたのは、譲葉が他の二人と区別する最大の要因は「感情的に考えるか論理的に考えるか」だろう。

えりかも蘇芳も、事前知識や集めた情報は必ずその後の行動に繋げている。ちゃんと教養が論理的思考に適用出来ている証拠なのだ。だが譲葉はどうだろう。以前の主人公と同じく様々なクオートや雑学の知識を引用するが、結局自分を戒めるために消費している。思考がかなり感情寄りじゃないかな、と思う。

カリスマに関してはえりかは絶望的にない。蘇芳や譲葉とは違い、基本人に干渉しようとしない。人との距離感が二人とは根本的に異なるのだ。夏編ファンブックでえりかは猫だと書いてあったがその通りで、別に”人嫌い”なわけではなく単に”どこまで人に構いたいか”の基準が低いのだろう。だから春編でも秋編でも常に”第三者”になってしまう。

f:id:i5nb:20180316011051j:plain

根性に関しては譲葉は言うまでもないとして、ネリネが嘘の自白をした後にえりかが譲葉にブチ切れた時は流石にヒヤヒヤした。いやまあ、あのシーンだったら誰でもブチ切れるだろうよ。でもあそこまでケチョンケチョンに言うとは思わなかったっていう話。夏編のフックマン事件の時も何やかんやバケモノを怖がっていたのでここまで根性があるとは思ってなかった。

蘇芳は春編を見る限り真の臆病者だ。しかし夏・秋でちょっとずつ進化している。現にニカイアの会の次期会長のポストを得たのだ。半年間めちゃめちゃ根を詰めたのもあって、あの臆病さは自然に薄れている気がする。冬編ではもしかしたら教養・カリスマ・根性の全てのパラメーターがMAXになったバケモノになってるのかもな、と少し期待している。

どちらにしても、最強が3人揃ったという意味ではこの作品はすごく魅力的なものだなと改めて実感した。

 

共感したくない八代譲葉

f:id:i5nb:20180316012309j:plain

すごく個人的な話をすると、僕は一貫して八重垣えりかというキャラが好きだ。あのキレの良さと斜に構えた態度、そしてたまにデレる姿が本当にたまらなく愛おしい。アニメ、ゲーム、小説などの架空のキャラの中ではダントツで好きだ。

しかし僕は彼女の思考回路にはあまり共感出来ない。特に感情部分はほとんど理解できなかった。何周か遊んだが、未だに何故千鳥に心を赦したのか、何故バスキア教諭にあそこまで拘るのかが理解できない。理解できないからこそ好きになっているというのもあるが。

それと比べて譲葉の考え方にはものすごくうなずけることが多い。シェイプシフター事件のときにあそこまで譲葉が焦りに焦っていたことも、ウェンディゴ事件のときに方喰寮長をある種のスケープゴートにしたことも、言語化しづらいがとにかく理解できてしまうのだ。

少なくとも推理パートは7割は間違いなく進めた。答えがわかっていたわけではなく、「多分この選択肢が近いだろうな」と消去法で選んだだけなのだが。春・夏ではほとんどprevボタンを押さなければいけなかったのでびっくりだった。客観的に見てこの状況での最適解がどれだろうというより、自分が譲葉だったらどれを選ぶのだろうと忖度したらほぼほぼ正解したのだ。

一番共感できたのは、話していることと考えていることが不一致していることだ。建前では傲慢に口を開くが、本音は臆病者だ。物事が間違った方向に進んでも、長期的に見て現状維持が最適解だとしたら口には出さず流す。だからゲームの半分以上の所でカギカッコ内の言葉と吹き出しの言葉が正反対だったりする。

そしてそれもこれも、過去の自分を引きずっている部分がある。具体的に言うと、ネリネと譲葉母が面会する直前の内気な譲葉だ。

言ってることと考えてることが違うことで僕は長いこと悩んでいるし、その原因が過去の自分にあることは明白だ。だから僕と譲葉の正確は根本的な所で似ていると認識している。そして自分と似ていることがあればあるほど、その作品は魅力的に感じる。主人公に共感しているため、必然的にこの作品に浸ってしまった。

 

f:id:i5nb:20180316015900j:plainしかし僕が譲葉に抱いた感想というのは「クズ」だ。

沙沙貴姉妹の件といいネリネの件といい、本来何もしなければ永遠に続いていただろう”現状”を壊したのは紛れもない譲葉だ。林檎に告白された時もそれこそキッパリ断ればよかったんだし、ネリネも99%振り向いてくれないことは明白なのだ。今までさんざん自己犠牲をしてきたとは言え、あの状況での解というのは「>そっとしておこう」なのだ。

それなのにネリネに変なタイミングで告白してしまったり振られた腹いせに林檎を代替品のように扱った当たり、このゲームの拗れた関係性は全て譲葉に起因している。

そしてその惨事の後片付けをほとんどしなかったのだ。幸いネリネも沙沙貴姉妹もものすごくお人好しなのでどのルートでも禍根を残さずに事を終えたが、結局譲葉は人の気持ちを理解しようと努力する姿勢が足りないんじゃないかな?って思ってしまった。

譲葉先輩は僕と共通点が多い人物だと思う。だが、この「クズさ」を公約数として数えたくない。正直、僕はクズの生き方が本当に嫌いなのだ。そして譲葉がクズになっているのは過去を引きずって本音を隠していることの帰結なのだが、先程言ったようにそれが根本的に僕が譲葉に共感している原因なのだ。つまり僕もクズの素質があるのかも?と思った瞬間寒気がした。まあ譲葉ほど人と関わってないから必然的にクズに成るスペックが整ってないんだけどね。

八代譲葉という人物の視点で世界を見れたことは、自分がどういう人物になり得るかを振り返ることに自然とつながっていた。僕は譲葉には共感するけど、本音を言うと共感したくない。まあ良くも悪くもゲームのキャラクターなんだけどね。

 

明日はFlowers冬編のPS Vita版の発売日だ。時間があったら買いに行こうと思う。僕の好きな物語のフィナーレをはやくみたい。