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フロリダの銃乱射と"弱い権力"の核兵器の矛盾

先月半ば、米国フロリダ州の高校で銃乱射事件が起きた。

www.newsweekjapan.jp

これを受けてNRA(全米ライフル協会)がバッシングを受けている。そもそもこの事件の根本的な問題は雑貨のように銃を好き放題変える社会じゃないか、そんな危ない社会を作っているのはNRAが巨大なロビー団体として保守陣営を銃規制反対側に引きずっているからじゃないか、といった理由だ。事件後、日本では乱射事件で生き延びた生徒らがデモ活動を行った様子が報道されたが、多くの企業がNRAとの連携を外した事実も忘れてはいけない。

この主張には一定の一貫性がある。例えば、生存者と会談したトランプ大統領

  1. 銃購入時に主に精神状態に焦点をおいた本人確認をする必要がある
  2. 教師に銃を持たせ交戦させれば、アメリカの学校は安全になるだろう

といった。

www.bbc.com

1番に関しては明らかな論点のすり替え(ちなみに統計的に精神異常者が銃乱射を起こすという主張は既にデバンクされている)だけど百歩譲っていいとして、2に関しては「は???」っていう感想しか思い浮かばない。

トランプもそうだけど、世界中の人がアメリカ人の銃に対する考え方に完全に呆れ返ってる事実をアメリカ人は知ってるのか?

そして1も2もNRAが長年自分たちの利益を守るために主張し続けてきたことだ。銃規制をすれば途端に銃関連で商売してる連中が急に儲からなくなるので、それらしい主張をして「アメリカ人が銃を携帯すればアメリカは安全になる」と結論付ける。

しかし実際に起こっていることとはNRAの主張とは真逆で、銃を携帯しなければ人は死なない。

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グラフは国民100人あたりの銃の数と拳銃による死亡事件が国民100,000人中に何人発生するかを示したグラフだ。その国の地政学的環境や文化にも影響されるだろうが、トレンドとして銃をもっていなければ銃で人が死ぬことはないということがひと目で分かる。

今回の銃乱射の事件をNRAに直接の責任を求めるのは流石に責任転嫁だと思わなくもないが、それでもNRAが此処まで政治的な圧力を保守政治家にかけなかったら防げたかもしれないと考えると微妙な気持ちになる。

そしてもっと怖いのは、あと数週間もすればこの乱射事件なんて誰も話さなくなるだろうということだ。去年連日報道されたラズベガスの乱射事件なんて、誰も覚えてないだろう。

www.nytimes.com

アメリカでは毎日のように銃乱射事件が起きていて、今回の高校乱射事件も「そういやあったなそんな事件」のうちの一つに数えられることになる。

どうせ上手く行かないだろうとは思うが、せめてもの悪あがきとして生存者の高校生には頑張って現行の銃に関する法律(もしくは修正第二条)を今後どうするかを真剣に考える機会を作って欲しいと願う。

 

それにしても、銃規制に関する話題が出るたびにぼんやり思うことは「何で銃規制したら安全だってわかるのに”強い権力”が核兵器を持つロジックが正当化出来るんだろう」ということだ。

北朝鮮などの”弱い権力”が核を持つことは非常に危険なことで、アメリカやロシアなどの”強い権力”が核を盾にすることは無条件に安全なことだとされている。核は危険だ、絶対に持つべきではないと主張しつつ、心の中では核抑止に親指を上げている人はかなり多い。しかし、核の傘という概念を肯定すると、銃規制に賛成する時にちょっとした矛盾が生じる。

例えばトランプが主張する「先生が銃を携帯すればいい」っていう主張がおかしいという話だが、こういう時は理性ではなく感情的に考えたほうがわかりやすい。

もし自分が学校に銃を持って子どもを無差別に殺そうとしてるとして、そこに突然先生が現れ「手を挙げろ!さもなくは撃つぞ!」と言われたとしたら、本当に降参するだろうか。無差別に人を殺すつもりで来てるということは、死ぬ覚悟で来ているということだ。アメリカの一部の州や日本では殺人罪は死刑になる可能性が高い。だから殆どの人は目の前の教師をも射殺する一か八かの賭けに出ると思う。

ちなみに「ここまで緊迫した状況だと”手を挙げろ!”と言う前に教師が犯人を撃つのではないか?」という反論をされそうだが、僕はそうは思わない。

秋葉原通り魔事件で犯人を取り押さえた警官は、犯人と一対一になった時拳銃を撃てなかったという。理由は人を殺してはいけないという倫理的な問題ではなく、もしも撃った弾が跳ね返って周りの野次馬に当たったらいけないということだ。当たり前だが、銃を撃つということはそれだけ責任がついてくる。

もし教師が撃った弾が何かしらの形で生徒に当たったら誰が責任を取るのか?教師が直ぐに射殺してくれる、という考え方はあまりにも仮定的すぎる。

こういった理由から、僕は教師などの”権力者”に銃をもたせるよりも、日本やオーストラリアを見習いアメリカ全土で銃の購入をほぼほぼ不可能にするほうが安全な社会を築けると信じている。

 

核問題はどうだろう。例えば北朝鮮の場合、ホワイトハウスに「大きな核のボタン」があるんだからジョンウンは核開発をやめろと言われて、本当に核開発をやめるだろうか。

アメリカの主張というのは「俺達が権力者だ、だから弱者は黙ってろ」と言ってるのと変わらない。そんな一方的な言葉に、金正恩は納得できるだろうか。フロリダの無差別乱射事件の犯人と同じように、北朝鮮はいつ国家が滅びてもいいような心構えで核開発を進めている。”強い権力”が偉そうに「核は悪だ!」と叫ぶことは、僕には火に油を注ぐような行為にしか見えない。

相手に何かを諦めるよう求める時は、自分も同じように諦めなければバランスが取れない。銃規制と同じ論理を使うと、世界中の核問題を撲滅するには、核の傘ではなく”強い権力”と”弱い権力”の双方が核兵器を捨てる条約を作るのが一番手っ取り早いのだ。

だから、銃規制に賛成している連中は「核抑止で世界は平和になってる」なんて絶対に言ってはいけない。論理上銃規制と核の撤廃はセットであり、どちらか一つだけを選ぶような主張は矛盾を生むということを自覚するべきだ。

 

今回の事件とその後の反応は、個人の日々の安全だけではなく国家の安全保障といった観点からもどのように社会を築くべきかを検討する機会に繋がるのではないかと考えてる。