偏差値2那由多

一般男性の公開ポエム

Facebookと多様性

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2年前のものだが、Facebookの社員があまり多様ではないという記事を見つけた。

www.huffingtonpost.jp

記事によるとFacebook社員の多くは白人であり男性が圧倒的であり、よって多様性が広がってないというのだ。様々な人種がいたり性別を均等な人数で配置されるのは疑う余地もなく「多様な」環境なのだろうか?そして、何故「多様」でなければいけないのだろうか。

 

勝手な予測だが、このような記事を書く人間が考える多様性の強さとは「思想の多様性」なのではないか。つまり、様々な人間がいることで別々の価値観がぶつかりあうので面白い、ということだ。

しかし、様々な人種がいたり女性と男性が同じ比率で存在することが思想の多様性を生むというのは少し早とちりしすぎな結論だと思う。何故ならば、必ずしもバックグラウンドが思想を決めるとは限らないからだ。

例えば、昔の奴隷制度の影響で未だに貧困に苦しむ黒人というのは多数いるが、一方でホームレスの白人だって一定数いる。宗教観においても、比率は違うかもしれないけれども白人と黒人とヒスパニックの中には一定数キリスト教徒がいて他の宗教を信仰する人もある程度いるのだろう。別に人種がどうこうの話だとは思えない。

そもそも、ハフィントンポストの読者を含むリベラル派の人達はGender Stereotype (性別に基づくステレオタイプ)をとことん嫌うのだが、企業内の性別の比率の話なると突然多様性が〜と説教を始める。「男性はこういうふうに考えて、女性はこのような思考をする」と言った一般論を嫌うのに、男性と女性の比率が多様性を育むといった持論を展開するのはおかしくないか?その一般論を否定するということは、男性が何人いようと女性が何人いようと彼らの言う多様性と言うのは本来変わらないはずだ。

 

僕の持論なのだが、彼らの言う「一番多様な環境」というのは日本の公立の小学校だと思う。

公立の小学校は「同じ地域から来ている」「年代が同じ」というフィルターだけで児童を集められている。だから男女比がバラバラになるかもしれないし、金持ちから貧乏まで様々な子どもが集まる。親の政治思想も極右から極左までいる。キリスト教徒も学会員も一定数いるだろう。在日やハーフもいるし、場所によっては特別学級も用意されている。僕のいた小学校は、下級生に脚の不自由な子が入学すると決まったので急遽バリアフリー化とエレベーターの設置を決定した。

「住所が近い」というもの以外は特に選別されていないため、本当にバラバラの人達が集まる。バックグラウンドや経験においても違うものを持っている子どもだらけなので、思想が違ってぶつかり合うという彼らの理念にも一致する。

 

だから、そこまでFacebookやハフィントンポストが欲しがってる「多様性」とやらを実現させたかったら抽選システムなり住んでる地域に限定した選別なりをすればいいと思う。まあ、アメリカなら同じ人種があつまって一つの地区に住んでいたりしそうだし技術の強さとかに制限が掛かりそうでもあるし、何より「多様性」とやらが存在するかどうかすら怪しいが。