偏差値2那由多

一般男性の公開ポエム

意識高い系のイベントを見学した

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あの忌々しい試験も肌寒い季節も終わり、気が楽になった。春の温かみをやっと感じられるようになった。ツイッターも再開した。いえーい……

 

色々と暇になったので、幾つかのことを試している。新しいゲームを始めたり前から気になってたことの調べ物をしたり久々にフォロワーと遊んだりして割りとリア充(笑)してるのだが、一番変わった経験だったのはいわゆる「意識高い系」の学生団体のイベントの見学に行ったことだった。見学してみて面白かったらこういったイベントにもっと積極的に出ようかなと思っていた。我ながらとても珍しいと思う。

僕が参加したのは、ちょっとしたボランティアのイベントだった。ボランティアを通して、組織外の人とも話をし、様々な方向で影響を与えようというもの。特定されたくないのでこれ以上は伏せる。

結論から言うと、僕に意識高い系は合わなかった。引きこもろう。

 

僕は「意識高い系は悪だ」と言うつもりはない。皮肉とかじゃなくて、僕がそれを悪だと言えるほど偉い立場にいないのと、一概に「○○は悪だ」と言い切ることに自信がない。ただ、「意識高いのが正義」かと聞かれると僕は大反対だ。

そもそも、意識高い系と呼ばれる人たちに共通することはなんだろう。僕が見るに、「若くて積極性と生産性を崇拝する人達」が意識高い系だと思っているのでなんとなく共通点は見つけやすいと思う。あと拗らせた意識高い系の人達は「世界を変える」だとか途方もない事を言い出す。

この「積極性」「生産性」「変化を起こす」といったパラメータそのものが、僕が義務教育期間に叩き込まれたものだ。僕は物心を覚える前から現在まで反抗期なので、この場合においてはとても意識が低い人間だと言える。 

で、僕はこのイベントに行ってこういったものを実体験した。「社会は自信のない人達で溢れている」「私達の小さな行動が社会を変える原動力になる」といった熱に溢れるプレゼンを見せられ、どう思いますかと聞かれた。他の参加者は「すごいと思った」「とても共感した」「私もこうなりたいと思った」と言っていたけど、僕は全く賛同できなかった。

このイベント自体が僕のような意識の低い人間に向けて設計されたわけではないのは火を見るより明らかだ。まあなんとかなるだろうと思っていたけど誤算だった。彼らの言う「自信のない人達」って、明らかに僕みたいな意識の低い人間のことを指している。だから「自信がないとダメだ」「みんな夢を持つべきだ」「我々は経験を持っている、こういった人達を助けたい」といった言葉一つ一つがチクチクと心に刺さった。

 

自信がないーー「意識高い系」の対義語のような資質だ。特に中高生や大学生だと、多方面において自信がない人がいるだろう。自分にポテンシャルがないだとか、将来が不安だとか、自分は負け組なのではとか。どうにも僕が見た意識高い系の人たちは、こういった感情を敵視しているらしい。なぜならば、このような感情が彼らの野心を妨害するからだ。

自分の設定したゴールを達成するために必要なのはそこにたどり着くためのプロットを作ることだ。世界なり社会なり世の中なりに「変化」を齎すためには人の協力が必要だ。恐らくどんなバカでもその「変化」を完全に一人で独立して起こすことは不可能だということは理解しているだろう(今ここで「変化」という言葉に強い違和感を覚えた人はその気持ちを少し保留してほしい)。

で、我々意識の低い系が世の中に溢れかえると困るのだ。より多くの人を動員することが変化を起こす種になるのだ。ちょっと前に話題になったSEALDsなどの学生団体が60年70年安保闘争時代の学生運動と比較して「今の学生は政治に無関心すぎる」と騒いでいたのは記憶に新しいが、僕の指す意識高い系の議論となんらかわりのないものだろう。

だから僕のように向上心のない人間を更生したがるのだ。まあすべての意識高い系が必ずしも意識の低い人種に改革を起こそうという野心を持っているとは限らないにしても、多くが少なくとも見下げているのは確かだろう。

どんなにもっともらしい事を意識高い系の人達がおっしゃったとしても、我々は彼らの野望を叶えさせる「数字」でしかないのだ。数字として貢献してほしいからいろいろな手段を使って表の世界に引きずりこもうとする。このことに気づいたときに、なんか胡散臭いなと思い始めた。

 

僕は見ていてアホくさいなと思ったけど、別にそういった人間が存在すること自体が悪だとは思わないし、無理に意識低い系と意識高い系が対立しているとも思わなかった。というのも、意識高い系が意識高いというステータスそのものを布教しない限りは、多くの人にとってかなりプラスに回るのだ。実際「社会」と呼ばれるよくわからないものには奉仕する者と享受する者がいるわけだから、奉仕したいのなら是非していただきたい。

 

ただ一個文句があるとすれば、先程留めた変化だ。どうやら意識高い系の人達は、何かに変化を齎すことが価値のあることだと思っているらしい。社会規模であれ自分自身であれ、変化を起こせばすべてよし、といった具合だ。こういった話を、今回も以前他の意識高い知り合いと話していたときも、眉に唾をペタペタ塗りながら聞いていた。

変化とは、同じ何かが時間を隔てて別の状態に変わらないと変化と呼べない。 この「何か」を定義しないで変化だと強引に呼ぶのは無神経極まりない。物事をローカルに定義するというのははっきり言って誰でも簡単にできる。グローバルに理解されてないものを強引に定義するのはただの押し売りだ。

もうちょっと説明しよう。例えば氷を温まり水にしたとする。これは固体という状態が「温める」という行為により時間を隔てて液体に変わったので、この状態の移り変わりを「変化」と呼ぶことができる。しかし、ただ意識を高くして何かを成し遂げたからと言って、それによって「世界を変えた」「社会を変えた」と呼ぶのは必ずしも正しくない。彼らが指している状態の変化というのは、たいてい時間が過ぎたことそのものを指している。時間がすぎると周りの環境も変わり、その環境が変わったことであたかも自分が何かに変化が齎されたと錯覚するのだ。結果論を提示するだけでは変化をもたらしたと言えない。それでもそれを変化だと呼ぶのならば、はっきり言ってそれは自慰行為だ。

百歩譲ってそこに変化があったとしても、それを目的にしているところもよろしくない。「社会を変える」「自分を変える」「変化を起こす」といった事を目的としていること自体が自己満足の現れだ。変化というのは副産物であり目的を達成したときに同時に起こる現象であって、その副産物を目的だと威張って言われても空々しい。だってそこに本質はないのだから。

イベントで一緒だった参加者の人達に、 「自分を変えたくてきた」「何かを変えたかった」と言った人がうじゃうじゃいた。このイベントに定期的に通うことで自分が変わったと力説した人をすごいと賞賛した。僕は「はぁ〜」と深い溜め息をついてから作り笑顔ですごいですねと同調した。

 

ちなみに、この記事を読んで「俺/私は意識低いけど……」って思った人、落ち込む必要は全く無いから安心してほしい。本来は学生時代に勉強をしようとスポーツを楽しもうと色恋沙汰を発展させようとバイトをしようとソシャゲやネトゲに勤しもうと本人の勝手なのだ。本人の勝手というよりも、家庭の事情や自信の経済的状況でそう選択せざるをえないこともある。それに人間得意不得意があって、僕のように社会という定義の曖昧な空間に適合できない人間は意識高い系にはなれない。無理にボランティア活動をしたり語学留学をする必要などどこにもないのだ。だから就活に便利になるからだとかAO入試に有利になるからだとか、そんな馬鹿馬鹿しい理由で「私は変化を起こしたくてーー」なんて嘘を吐くような人間になってはいけない。意識高い系の口車に乗ったらその場で負けだ。彼らは全く別の人種なので、無理に意識高い色に染まること自体が不毛なのだ。

逆に我々意識低い組のものは意識高い系を馬鹿にするのもよくない。先程言ったことと全く同じだが、無理に布教をしたりしない限りは僕らに害を与えることはないのだ。我々との違いは、僕らがゲームやアニメに費やしてる余分なエネルギーを人を助けたり発展途上国に行ってみたり起業したりすることで消費してるだけだ。それは彼らなりに自由に選んだことなので、僕らがあれこれ言う立場ではない。馬鹿にしたり卑屈になったりしないで、「へぇ」くらいの気持ちで見よう。ただ、もし意識高い系の布教活動に引っかかったときには常に疑いの精神を持つこと。「こいつら言ってること別に中身なんもなくね?」くらいの気持ちで聞いていれば、そこらの宗教勧誘のように適当にあしらえるのではないか。

 

僕がしたかったのは意識高い系を貶めることではない。ただただ意識高い系が正しいというよくわからない風潮に異議を唱えたかったのだ。我々意識低い系の生産性の低さが問題だと主張するならば、僕が先程挙げた意識高い系の誤謬も同程度で低く評価されるべきだ。あとはまあ、せっかく一日かけてイベントに行ったのに思ったよりがっかりしてしまったのもある。まあがっかりした理由の8割は僕に非があるが……。正直言って、色々ともう懲り懲りだ。僕が意識高くイキり散らすのはラーメン屋で十分だ。

 

東京の白山にある夢を語れって言う関西の二郎インスパイア店、今年の頭にいったんですがめちゃくちゃうまかったんでおすすめです。意識低いけどたまにはイキりたい人、カウンターに夢を書くシートがあったと思うんで好きなだけイキリ散らせばいいんじゃないですかね。食べログも必読。京都の方に本店、あとアメリカのボストンにも支店があるらしいんで両方いつか行ってみたいな……デブラーオタク、誘ってください。