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偏差値2那由多

一般男性の公開ポエム

アイカツ!とAmazonとテスト

アイカツ!に熱中している。

以前の記事にも書いたが、忙しい。忙しいからこそ僕は手元にある「何か」を無理やりオアシスと呼び、虚構の安堵を求める。今のそれがアイカツ!だ。

本当に捗らなかったりどうしようもないときに携帯を開いてアイカツ!を見ると心が浄化されたような錯覚を覚え不思議と作業に戻ることができる。多分、子供向けコンテンツだからこそ世の中のドロドロした側面を見ないで済むため、純粋に頑張ってる女の子を見て「自分も頑張らなきゃ」と非論理的に自身を戒めることができるからだろう。ちなみに僕の好みは紫吹蘭ちゃんです。

これのお陰で何度も助けられた。アイカツ!の制作陣には感謝しきれない。

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ただ、アイカツ!よりもありがたいものがある。それはビデオ・オン・デマンドだ。仮にビデオ・オン・デマンドが存在していなかったら、アイカツ!がそこにあったとしても僕はアクセスできなかっただろう。

NetflixAmazon videoでプライムビデオを見始めてから動画を見る効率が劇的にあがった。アイカツ!の他にも映画が豊富にあったりして、色々とアドだと感じる。

そもそも、僕は映画館があまり好きではない。1時間半も同じ画面を見続けると頭が痛くなるし、せいぜい40分程度で集中が完全に切れる。面白いシーンの途中でも集中が途切れてしまうが映画は一時停止できないので、どうも冷めてしまう。

ビデオ・オン・デマンドなら自分が好きなときに一時停止できるので便利だ。自分の集中力や頭のキャパシティと相談しながら見ることができるので、映画を見るのも苦ではない。

アニメはもっと良い。大体のアニメが24分、エンディングが始まるまでの時間が20分から22分なので、集中力の持続範囲で見れるから「もうちょっと見たいけど集中が切れてしまった」といった映画の問題点をすべて排除しているので心置きなく楽しめる。

こうして僕はAmazon videoのお陰でアイカツを好きなときにちょうどよい時間内で視聴している。極楽だ。

 

 

集中力の持続の話といえば、最近の悩みの種になっているのが試験だ。僕が今受けている試験は、運が悪ければ1日のうちに7時間テストを受けなければいけない。それが何日も続くことがあるのだ。実際に僕は月曜日から水曜日にかけてこの地獄を味わった。そのせいか体が動かず昨日(木曜日)が一日潰れてしまった。恐らく今日も体を動かすことはないだろう。

僕は彼らが何を測っているのかがわからなくなってしまった。そもそも2時間半も続けて同じ科目でテストをする必要などどこにもない。これではただのスタミナ勝負だ。

試験とは、実力を測るのが目的だ。学習の成果を見るのではなく、どれだけ体力が持つかで競い合わせるというのは実に馬鹿げた話だ。

大学受験だと「現状のセンター試験はよくない」いった議論をよく聞くが、僕は難関国立大学の二次試験で行われる「最難関クイズショー・ダブルコンボ」のほうが問題だと思う。問題の難しさではなく、二日間に渡る非常に高度な問題を前に集中が続くか続かないかで運命が決まるのはアンフェアとしか言いようがない。

 

ちなみに、海外の一部のテストでは発達障害を患う学生には、医師からの助言をもとに試験の時間を特別処置として長くすることがあるらしいが、個人的に反対だ。自分は発達障害を患ってるわけではない(少なくともそのような診断をされたことはない)から知ったかぶりを承知で言うと、長い時間テスト環境に拘束することのほうが地獄なのではないか。これでは明らかに鬼に金棒だ。それだったら問題数を減らして早く帰らせたほうが「実力を測る」という意味では正当だと思う、少なくとも「集中力の持続や精神の安定」に関する発達障害を患う学生には。

実際に昨日2時間半も拘束され、奴隷のように問題を解かされたときは「何でもいいからすべてを捨ててNaked Diveしたい」とか考えていた。

 

正確に言うと、僕はやろうと思ったら1時間強までなら集中力を持続させることは可能だ。意識的に体にたまった潜在的な力を集中力に変えることは一応できるし、魔剤やコーヒーなどカフェインが入った飲料で化学的に脳を自分の好きな状態にすることも一応できる。

ただそれをすると次の日まで疲れを持ち込んでしまうのがよろしくない。特に今みたいに数日に渡ってぼーっとしてしまうのは時間の無駄に他ならない。もし試験が長期間行われていたり試験の他に大切な用事があるならなおさらマイナスだ。

 

具体的にロジスティクスとしてどのように解決するかまではまだ明確に回答できる段階ではないが、できたらビデオ・オン・デマンドのように「自分の中で最高のコンディションで試験を受ける」ことができたらいいな、と思う。つまり、体調や生活リズム、精神の安定性などを総合評価した上で最適なタイミングで試験を受けるということだ。場所に関係なく24時間使えるインターネットは手段として最適であろう。

例えば、そもそも僕は朝が苦手なので朝が得意な人達と比べると午前の試験において僕は「不公平」な立ち位置にいると言える。だが、この「公平」とは何を基準に判断されたものなのか。現状の試験が公平性を期したものだと仮定したら、この例に反する。

 

あくまで憶測だが、試験という場において「時間が短すぎると問題の量にかかわらず全体で考える時間を減らしてしまう、これでは公平に実力を測ることができない」「全員が同じ場所で同じ時間に試験をうけることが透明性と秩序を守ることができる」といった側面が伝統的に引き継がれているのではないか。もしもそうだとしたら、一理はあると思う。

ただこの反応が、多面的な知識を紡ぐアカデミアの入り口に古くからの軍隊の風を吹かしているとも言える。つまり、同じ場所に全員を整列させ、その人の得意不得意お構いなしに決められたルールに基づいてフラットに採点するということだ。さらに、その採点しているものの大部分が学力ではなくスタミナなのだ。

軍隊ならまだしも、試験という場において全く無関係のはずだ。これは公平だろうか。極めて曖昧だ。

もちろん、これで構わないという人はそれでいいだろう。というのも、僕は「最適な環境」の話をしているので、これが最適だと思うならぜひそうしてほしい。

公平の定義が曖昧な間は一部の間では目標が達成されるが、悪ければ過半数が副作用として失敗する。そう、僕のようにこのような軍隊システムが合わない人は試験中に人一倍辛い思いをする。

 

そもそも、時間や場所を指定するということ、もしくは「公平」という概念そのものがあくまで手段だ。本来求められているものは「学力/実力を測る」ことにあるので、曖昧な定義のもとにある「公平」という概念が目的を妨げるのであれば省いてかまわないと思おう。

時間や場所に縛られずに自分がいちばん実力を発揮できるコンディションで正々堂々と試験を受けられるのであればそれでいいじゃないか。加点方式だろうと減点方式だろうと、ベストを尽くした人間のその「ベスト」を知るほうが実力を測る上では正確だ。というよりも、何も「公平」なことに拘る必要はない。

もちろん、カンニングなどの諸問題があるだろうが、目的論を議論している間に考慮されるべき問題ではない。

 

19世紀にフランスで普及した「映画」は、時代を超えてインターネットでアイカツ!を見れる時代になった。150年の時を経て「同じ場所同じ時間に縛られ同じ画面を見る」という概念から開放されたのだ。

19世紀より前からあったであろう試験は、定義されていない「公平さ」をもとに未だ軍隊のようなシステムを引き継いでいる。現状のシステム、Amazonビデオとアイカツ!のアナロジーから学べることがあるのではないか。

 

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まず、オムライス食べな。それから考えよう。