偏差値2那由多

一般男性の公開ポエム

完全栄養食を試してみた

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完全食とやらが少し前に流行っていた。「1食に必要なすべての栄養素を含む」粉で、液体に溶かして飲むと1食消えるというものだ。

2週間ほど前に放送されたザ・ノンフィクションで、日本一有名なニートとして知られる@phaさんが「SFっぽくてギークがよく好む」といった紹介をしていたので、気になって試してみた。

www.comp.jp

自作することも出来るらしいが、長期的にどれだけ飲めるかわからなかったのと、そもそも試してみたいという気持ちのほうが大きかったのでとりあえず商品化されてるCOMPに手を出した。3つ入りで300円。朝食にはちょうどいい。

とりあえず、ドキュメンタリーの方でもあったように牛乳に混ぜて飲んでみた。粉を水筒に入れて、牛乳350~400mlを注入して40回くらい振って飲んでみた。

 

とても変わった味だった。多分「きなこジュース」っていうのが一番適切なんだろう。きなこっぽくて、あとホットケーキミックスっぽい味もする。ほのかに甘い感じ。それでもって少しドロドロしてて、でも一応液体としては弁えてる。

水っぽかったけど、でもやっぱり重かったのでゆっくり飲んだ。というよりも、朝他にやることがあったので、作業をしながらゆっくり口をつけた。

 

僕が一番ビックリしたのは、不思議な満腹感だった。ただただ液を飲んだだけなのに、お腹がしっくりきてる感じがした。点滴を打つ時は「食事をしたい」とは思わないけど、胃が何か足りない感じがある。それとは違い、食欲は無に等しく、更に胃も満更でもない感じになっていた。顎を一切動かしてないので本当に不思議な感覚なのだ。

 

僕は最近移動が多く、結構外で安くサッと食べられる牛丼などでいつも食事を済ましていたのだけれど、どうも同じ味に飽きてきたのと明らかに栄養が偏ってるものばかり食べていてちょっと辛くなっていたのだが、これなら完全栄養食はこういった問題を一瞬で解決できる気がする。

まず、割る液体を選ぶだけでだいぶ変わる。今回は牛乳だったが、ネットのレビューを読む限りお茶なりジュースなりコーヒーなりを混ぜてもそこそこ美味しく飲めるという。だから味に飽きることはそうそうないのだ。

更に簡単に飲めるので、移動時間中でも飲める。電車の中とかでもサッと食事を済ますことが出来るのだ。

そして栄養素の偏り。完全栄養食を取ることでどれだけの栄養素を体が摂取するのかは分からないが、牛丼などファストフードばかりに頼ってるよりは明らかに効率よく様々な栄養素を摂取できると思う。

そもそも、「ファスト」に済ませたいフードなのに案外と中途半端な時間がかかる上に摂取できる栄養素が偏っているというのは労多くして功少なしと言える。かなり名前の割にコスパが悪い気がする。そういった意味で、完全栄養食はかなり燃費がいいと言える。

 

それにしても、こういった商品がコンビニの店頭にあったらいいのにな、と少しぼやいてみたが、それはそうも行かないのだろう。

何故ならば、この商品をおいてしまうとコンビニに置いてあるかなりの商品が「いらない子」になってしまうからだ。コンビニで買う食べ物の多くは「味」を求めるというよりは「栄養を摂取する」「満腹感を得る」といった目的を持つもののほうが圧倒的に多い。まあ味のクオリティは右肩上がりだろうが。

それをド直球に否定してくるのがこの完全栄養食だと思う。だってそこまで面倒くさいことをしなくても粉を溶かすだけで飲めるのだから。もしウィダーインゼリーのように使い捨ての完全栄養食が売られてしまったら、それこそ他の商品の存在意義は皆無になってしまう。

ただ、飲食業界には色々な柵があるんだろうし(多分)、そういった意味で「いらない子」にすることは出来ないんだと思う。

 

まあ、味を求める場合もあるから「存在意義が皆無になる」と言うのは少し言いすぎかもしれないけど。

そもそも「毎日同じ味があると飽きる」と思っちゃう時点で味に執着はあるんだよね。そういった古典的な欲求を壊しに完全栄養食ってあるんじゃないかなと思うんだけど、結果として「味」だとか割りと根本的に無駄なものを否定するには時間がかかるのかもね。

そう考えると、コンビニなどにある既存の商品を置き換えるというよりは、宇宙食とか非常食的な役割のほうがこれから強くなるのかな。まあよくわからないけど。

 

どちらにしても、一度試すに越したことはないと思うし、こういったものがあるんだよといったことがもっと認知されると嬉しい。特に栄養が明らかに偏ってるものに毎日嫌々課金してる人は是非試食を考慮すべきだと思う。栄養的にもコスパ的にもかなりアドなので。

インターネットで調べ物するのが嫌になることがある

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たまにインターネットで調べ物するのが嫌になることがある。

最近のインターネットは本当に使いものにならないことがある。本来、インターネットはもっと情報を簡単に渡しあえるものとして機能するはずなのに、それが機能しないことが度々あるのだ。

 

例えば僕は中学の頃からニキビが酷くて、特にストレスが溜まったりすると一気に顔が酷いことになっていた。かなり悩んでいたので、インターネットでニキビの直し方などを調べてみた。

検索結果は本当に酷いものだった。どのサイトを見ても同じようなニキビの解説をした後、僕に美容製品を押し売りしようとしてくる。

確かに、これを買うことである程度ニキビは治るかもしれない。しかし、どれだけ効果があるのかわからない製品に毎月何千円も課金しろと言うのがあまりにも胡散臭いのだ。石鹸だけでなく乳液や化粧水、よくわからないオイルとあれこれ買うと月に数万かかりそうな域だ。

僕は皮膚科でもらった塗り薬を使ったところ、完全には治ってないが前よりはニキビが増えることは全然なくなったし、肌も前よりはきれいになった。インターネットで月に高いカネを費やしてまでニキビ対策する必要などなかったのだ。

こういった美容・医療問題に関してインターネットに頼ろうとすると本当にろくでもないものばかり出てくる。ニキビだけでなく、他の身近な医療的な悩みを検索するとキューレーションサイトばかり出てきて、本質的に僕が求めているものがなかなか出てこない。もっと低コストでわかりやすくて根拠のある解説があるものを探しているのに、医学の知識に乏しそうなライターがコピペしながら書いたとひと目で分かるステマ記事ばかり目につくのでなかなか頭にくる。

僕は、一段落が一行で終わる医療記事は読まないことにしてる。本当に時間の無駄なのだ。

ニキビってだけでかなり悪質だと思う(顔はファースト・インプレッションに影響を与えるもののだけに)が、それがもし深刻な医療問題でも起こっていたとしたら余計におかしいと思う。本当に細心の注意を払う必要があるものをダシにしてまとめサイトが商品を売りつけるようなのはあってほしくないし、もしあったとしたらインターネットに殺される人がいるかもしれないと考えると気持ちが悪い。

 

同じように、中国や韓国のことを調べても面白いほど駄目なものばかりでてくる。

インターネット上には「正気か?」と思うほど半島や大陸が嫌いな人が信じられないほどいる(もちろん、実はそこまで大した人数じゃない可能性もあるが)。最近将棋で話題の藤井四段が豚キムチうどんを食べた事を理由に「在日だ!」と叫んでいた人がいたが、とにかく嫌韓・嫌中の人の中には過激な人がいて、それもたくさんいるのだ。

僕は日本人という意識はあるが、日本の現在の国家(というよりはNation-stateといったほうが的確)に対しては全く帰属意識がないので、「在日や中韓が日本をダメにする!」といった主張はあまり理解できない。それに仮に在日の人をボコボコに迫害したり逆に過剰なまでに甘やかしたとしても、僕の生活が無条件によくなったり悪くなったりするとは考えられない。実際、殆どの人の生活や生き方に影響をおよぼすことはない。そういった意味で、僕はこういった問題にかなり無関心だ。

だからインターネットで真面目に中国や韓国の事を調べたときに「また韓国がアホな事をした」「在日死ね」「○○は在日だ!」という事ばかり出てくると心底うんざりする。僕が知りたい情報は教えてくれない代わりに、まとめサイトのくだらないアンチコメントばかり見せられるとすごく迷惑なのだ。

確かに中国や韓国の人がおかしなことをすることもあるし、在日外国人の人が日本で悪さをすることはあるんだろうけど、それは中韓に限定した話じゃないし純日本人だってたくさん悪さをする。はっきりいって、どうでもいい話なのだ。

 

ニキビの話にしても中韓の話にしても、僕の調べ方が悪い可能性も否めない。そりゃインターネットって言ったってGoogleだけじゃないし、調べ方によって出てくるものだろう。でも、逆に考えてそんなに複雑で高度な検索をしなきゃいけないってことは、一部の分野はインターネットで調べ物するのに向いてないってことだ。

そりゃ論文とかを漁って読むのもいいかもしれない。毎月ジュースを1杯飲む金を諦めさえすれば世界中の良い論文を読める時代だから、そうやって課金して学術的に調べ物をするのはいいだろう。ただ、それだと「気軽にちょっとした調べ物をしたい」といった欲望に反する。

何をどう答えても、インターネットとしてあって欲しい姿から離れているのだ。

もしも知識不足だけが原因でまとめサイトの勧める商品に毎月数万円課金したり、インターネットにある中韓や在日の情報だけを鵜呑みにしてネトウヨの思想に走る若者がいたら、それはとても残念なことだと思う。

こういった「調べ物をしてもクソみたいな情報しか出ないことがある」「クソみたいな情報を鵜呑みにしちゃう人がいる」という現実を見ると、インターネットリテラシーを徹底した教育が必要なのかなあ、って考え始めた。 

ミネルバ大学という試み

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「ビリギャル」で有名な小林さやかさんが、アメリカの新しい大学について触れた。ミネルバ大学という所だ。

ameblo.jp

僕も以前から興味があって、名前をちらほら聞く大学だ。

現在の教育に変革を起こそうとここ数年で出来た新しい大学だ。大学のキャンパスは存在しない代わりに学生寮を用意して、学生は寮内でオンラインの講義を受けるという。そして学生は4年間を通して世界7カ国を旅しながら、現地で変化を起こす「何か」をする。

日本はもちろん、世界的に見てもまだまだ知名度が低い大学だが、卒業生を出してそれからどういう風に広まっていくのかが期待されている。

www.minerva.kgi.edu

www.futureedu.tokyo

 

小林さんのブログではミネルバすごいすごいって書かれていて他のサイトを読んでいてもそのような印象を受けるが、まだまだ改善できるところというか、不完全燃焼なところがあるんじゃないか。というよりも、新しい挑戦だからこそ疑問に思うことを発信すべきだと思うし、いいね!いいね!と連呼するだけでは挑戦にはならないのだ。

僕はこの大学のことを調べて、そもそも論として色々な疑問が浮かんだ。それはミネルバ大学だけに留まらず、教育全体として投げかけられる質問だと思う。

大学は職業学校なのか

ミネルバ大学を見て最初に思ったのは、ここは大学なのか職業学校なのかだ。大学によると、「雇用主はクリティカルシンキング、コミュニケーション能力と社交性を持っている人間を欲しがっている」らしく、他の大学とは違ってこの3つの能力を育むことに全力を入れているらしい。「知識を教えるのではなく、考え方を教える」という。

どうも、大学というのは雇用されるのが前提とされている機関だと勘違いしているのだ。

僕は大学を職業専門学校の付設校として営業することに否定的だ。本来、大学とは自分が興味のあることを追求することが目的であり、それを就職につなげるかは二の次にされるべきだ。

だから、新しい試みのはずが結局ハーバードなどのトップと言われる大学がやってることと同じ事をやっているミネルバを見てると「結局何をどうあがいても大学を職業学校として位置づけるしかないのか」と溜息が出る。

 

教育とカネ

学生は世界7カ国を旅し、その地域でプロジェクトを起こし変革を齎すカリキュラムだという。授業は午前中で終わらせ、教育の時間の大半を実習(プロジェクト)で費やすという。何事も知識武装ではなく現場百遍だと伝えたいのだろう。

正直なところ、これをするのならば学費を徴収するべきではないと思う。大学無償化をすべきかどうかという議論があるが、実際のところ私立大学が大学無償化に成功した例が米国では少なくともないため、これに関しては賛否両論がありそうだ。

ただ、インプットよりもアウトプットを学生に求めるのならば、学生に課金を求めるのは違うと思う。無理にロンドンやサンフランシスコなどの既に発展した街ではなく、途上国の僻地に放り込んで地域の助成金で学費を潤し、対価として街の発展させるプロジェクトを求めればいい。

ミネルバは学費が低いことを売りにしている。

Pythonを習うのにウン十万ドル払うのは馬鹿馬鹿しい」といって作り上げた大学だ。実際、Youtubeで過去の講義をタダで見たりすることが出来る時代にこんなにぼったくるのはアホだ。

市場価格と実際の知識の価値というのが大きくかけ離れているという主張はごもっともだし、それを批判するのももちろんだと思う。

だったら、学生にクオリティの高い労働をさせる代わりにカネを求めなければいい。クオリティの高い学生を呼んでいると言っているのだから、なおさらプロジェクトのクオリティは余計に高くなるだろう。そのプロジェクトに相当な対価を支払うのは当たり前のことじゃないか?Pythonを習うのに相当な対価を求めるのが当たり前のように。

 

エスタブリッシュメントと変わらない発想

上で少し触れたが、結果としてやってることがエスタブリッシュメントと変わらないな、と思う。

日本人が大学の「強さ」を測る時、恐らく最初に出すのは偏差値だと思う。これがどこまで正確に大学の姿を反映するのかはかなり疑問だが、実際に一番パッと来る数字は偏差値だろう(このブログのタイトルはもちろん風刺)。同じように、アメリカで大学の強さを測るときは合格率(Acceptance Rate)というのが使われる。数字の意味は全く違うが、ニュアンスがかなり似ている。

ミネルバ大学は宣伝文句で必ず「ハーバードよりも低い合格率」「ハーバードよりも安い」「ハーバードよりも留学生が多い」「アイビーリーグやオックスブリッジを蹴ってミネルバに来た学生」を売りにしている。

僕はこの宣伝文句を見るたびにちょっとがっかりする。なんでハーバードを引き合いに出して自分たちがエリートだと主張しなきゃいけないんだろう、と思う。

僕はミネルバ大学というのは忌々しい既得権益層が守ろうとする教育構造を壊すいわば第三の道だと思っていた。でも、見当違いなのかもしれない。

結局主張したいことは「我々は正しいことをしていて、それはハーバード大学を見ると一目瞭然です」ということだ。結局既得権益層と同じレールに乗らないとアピールが出来ないのは残念極まりないし、同じことをしているのにハーバードのやっていることを説教するのは図々しいにも程がある。

他人を蹴落として自分を高くする方法は嫌いだ。そういうことばかりする大人を何人も見てきたけど、ミネルバみたいな面白い取り組みをしているところには決してやってほしくない。

 

それでも嫌いになれない

ここまでけちょんけちょんに言っているから僕はミネルバアンチなのではないかと勘違いされそうだが、僕は決して否定的には見ていない。

正直、僕が指摘したことは言い方一つでガラッと変えられる程度のものだ。まあカネに関してはちょっと違うと思うけど。それでも致命的な問題ではない。

今の教育は無駄が多すぎる。無駄が多いくせに本質的に必要な問題は適当にやり過ごそうとする。ミネルバ大学ははっきりとそう主張した。そして僕はこれは正しいと思うし、ミネルバ大学の「無駄なところは決定的に潰し、本当に必要なリソースに回す」というところはとても好感が持てる。

「オンラインで授業をする」ことも手段だと聞いた時、かなりホッとした。しっかりと本質を見極めることが出来る人達が運営しているんだろうなというのが伺える。

あと、この大学は胡散臭さがない。他の大学がアピールする時、どうも同じことを繰り返して言ってるように聞こえて人工的なのだ。それがミネルバ大学にはまったくない。

誠意を持ってやるプロジェクトは胡散臭くない。ミネルバを作った人達は誠意を持ってやってるんだろうなあというのが伺えるし、そういったプロジェクトは嫌いになれない。

それでも、ミネルバ大学の噂を聞くと「いいね!いいね!」といった声しか聞こえないのはやはり問題だ。新しい挑戦だからこそ不具合が生まれるわけで、その不具合を指摘しないで広がってもコケるだけだ。

ここまで大々的に反逆する機関はほとんどないだろうから、みんなと同じことを言うのはちょっと違うなと思って少し書き出してみた。どちらにしても、議論を生む面白い試みだと思う。

www.j-cast.com

ペルソナ5をクリアした

ブログ書く書く詐欺を繰り返してたけど、結局書くことは一度もなかった。

 

 書く気がなかったというよりは、忙しかったからだ。 

ずっと何かしなきゃいけないんだろうなってことは頭でわかってたんだけど、ペルソナ5というゲームを始めてしまって他のことが全く進まなかった。

で、やっとクリアした 

ネットでレビューがある通り、ペルソナ5はアトラスの歴史に残る素晴らしい作品になるのは間違いない。色々と終わらせてから思ったことがあったので少し書いてみようと思う。

ここから先、ペルソナ5やペルソナの前作(3、4)のネタバレがあるのでプレイ中の人やまだプレイしてない人でこれからプレイする予定がある人は見ないほうがいいです。あと、全く関係のない閃の軌跡のネタバレも少しするので、閃の軌跡のプレイが終わってない人も見ないほうがいいと思う。

 

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意識高い系のイベントを見学した

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あの忌々しい試験も肌寒い季節も終わり、気が楽になった。春の温かみをやっと感じられるようになった。ツイッターも再開した。いえーい……

 

色々と暇になったので、幾つかのことを試している。新しいゲームを始めたり前から気になってたことの調べ物をしたり久々にフォロワーと遊んだりして割りとリア充(笑)してるのだが、一番変わった経験だったのはいわゆる「意識高い系」の学生団体のイベントの見学に行ったことだった。見学してみて面白かったらこういったイベントにもっと積極的に出ようかなと思っていた。我ながらとても珍しいと思う。

僕が参加したのは、ちょっとしたボランティアのイベントだった。ボランティアを通して、組織外の人とも話をし、様々な方向で影響を与えようというもの。特定されたくないのでこれ以上は伏せる。

結論から言うと、僕に意識高い系は合わなかった。引きこもろう。

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アイカツ!とAmazonとテスト

アイカツ!に熱中している。

以前の記事にも書いたが、忙しい。忙しいからこそ僕は手元にある「何か」を無理やりオアシスと呼び、虚構の安堵を求める。今のそれがアイカツ!だ。

本当に捗らなかったりどうしようもないときに携帯を開いてアイカツ!を見ると心が浄化されたような錯覚を覚え不思議と作業に戻ることができる。多分、子供向けコンテンツだからこそ世の中のドロドロした側面を見ないで済むため、純粋に頑張ってる女の子を見て「自分も頑張らなきゃ」と非論理的に自身を戒めることができるからだろう。ちなみに僕の好みは紫吹蘭ちゃんです。

これのお陰で何度も助けられた。アイカツ!の制作陣には感謝しきれない。

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ただ、アイカツ!よりもありがたいものがある。それはビデオ・オン・デマンドだ。仮にビデオ・オン・デマンドが存在していなかったら、アイカツ!がそこにあったとしても僕はアクセスできなかっただろう。

NetflixAmazon videoでプライムビデオを見始めてから動画を見る効率が劇的にあがった。アイカツ!の他にも映画が豊富にあったりして、色々とアドだと感じる。

そもそも、僕は映画館があまり好きではない。1時間半も同じ画面を見続けると頭が痛くなるし、せいぜい40分程度で集中が完全に切れる。面白いシーンの途中でも集中が途切れてしまうが映画は一時停止できないので、どうも冷めてしまう。

ビデオ・オン・デマンドなら自分が好きなときに一時停止できるので便利だ。自分の集中力や頭のキャパシティと相談しながら見ることができるので、映画を見るのも苦ではない。

アニメはもっと良い。大体のアニメが24分、エンディングが始まるまでの時間が20分から22分なので、集中力の持続範囲で見れるから「もうちょっと見たいけど集中が切れてしまった」といった映画の問題点をすべて排除しているので心置きなく楽しめる。

こうして僕はAmazon videoのお陰でアイカツを好きなときにちょうどよい時間内で視聴している。極楽だ。

 

 

集中力の持続の話といえば、最近の悩みの種になっているのが試験だ。僕が今受けている試験は、運が悪ければ1日のうちに7時間テストを受けなければいけない。それが何日も続くことがあるのだ。実際に僕は月曜日から水曜日にかけてこの地獄を味わった。そのせいか体が動かず昨日(木曜日)が一日潰れてしまった。恐らく今日も体を動かすことはないだろう。

僕は彼らが何を測っているのかがわからなくなってしまった。そもそも2時間半も続けて同じ科目でテストをする必要などどこにもない。これではただのスタミナ勝負だ。

試験とは、実力を測るのが目的だ。学習の成果を見るのではなく、どれだけ体力が持つかで競い合わせるというのは実に馬鹿げた話だ。

大学受験だと「現状のセンター試験はよくない」いった議論をよく聞くが、僕は難関国立大学の二次試験で行われる「最難関クイズショー・ダブルコンボ」のほうが問題だと思う。問題の難しさではなく、二日間に渡る非常に高度な問題を前に集中が続くか続かないかで運命が決まるのはアンフェアとしか言いようがない。

 

ちなみに、海外の一部のテストでは発達障害を患う学生には、医師からの助言をもとに試験の時間を特別処置として長くすることがあるらしいが、個人的に反対だ。自分は発達障害を患ってるわけではない(少なくともそのような診断をされたことはない)から知ったかぶりを承知で言うと、長い時間テスト環境に拘束することのほうが地獄なのではないか。これでは明らかに鬼に金棒だ。それだったら問題数を減らして早く帰らせたほうが「実力を測る」という意味では正当だと思う、少なくとも「集中力の持続や精神の安定」に関する発達障害を患う学生には。

実際に昨日2時間半も拘束され、奴隷のように問題を解かされたときは「何でもいいからすべてを捨ててNaked Diveしたい」とか考えていた。

 

正確に言うと、僕はやろうと思ったら1時間強までなら集中力を持続させることは可能だ。意識的に体にたまった潜在的な力を集中力に変えることは一応できるし、魔剤やコーヒーなどカフェインが入った飲料で化学的に脳を自分の好きな状態にすることも一応できる。

ただそれをすると次の日まで疲れを持ち込んでしまうのがよろしくない。特に今みたいに数日に渡ってぼーっとしてしまうのは時間の無駄に他ならない。もし試験が長期間行われていたり試験の他に大切な用事があるならなおさらマイナスだ。

 

具体的にロジスティクスとしてどのように解決するかまではまだ明確に回答できる段階ではないが、できたらビデオ・オン・デマンドのように「自分の中で最高のコンディションで試験を受ける」ことができたらいいな、と思う。つまり、体調や生活リズム、精神の安定性などを総合評価した上で最適なタイミングで試験を受けるということだ。場所に関係なく24時間使えるインターネットは手段として最適であろう。

例えば、そもそも僕は朝が苦手なので朝が得意な人達と比べると午前の試験において僕は「不公平」な立ち位置にいると言える。だが、この「公平」とは何を基準に判断されたものなのか。現状の試験が公平性を期したものだと仮定したら、この例に反する。

 

あくまで憶測だが、試験という場において「時間が短すぎると問題の量にかかわらず全体で考える時間を減らしてしまう、これでは公平に実力を測ることができない」「全員が同じ場所で同じ時間に試験をうけることが透明性と秩序を守ることができる」といった側面が伝統的に引き継がれているのではないか。もしもそうだとしたら、一理はあると思う。

ただこの反応が、多面的な知識を紡ぐアカデミアの入り口に古くからの軍隊の風を吹かしているとも言える。つまり、同じ場所に全員を整列させ、その人の得意不得意お構いなしに決められたルールに基づいてフラットに採点するということだ。さらに、その採点しているものの大部分が学力ではなくスタミナなのだ。

軍隊ならまだしも、試験という場において全く無関係のはずだ。これは公平だろうか。極めて曖昧だ。

もちろん、これで構わないという人はそれでいいだろう。というのも、僕は「最適な環境」の話をしているので、これが最適だと思うならぜひそうしてほしい。

公平の定義が曖昧な間は一部の間では目標が達成されるが、悪ければ過半数が副作用として失敗する。そう、僕のようにこのような軍隊システムが合わない人は試験中に人一倍辛い思いをする。

 

そもそも、時間や場所を指定するということ、もしくは「公平」という概念そのものがあくまで手段だ。本来求められているものは「学力/実力を測る」ことにあるので、曖昧な定義のもとにある「公平」という概念が目的を妨げるのであれば省いてかまわないと思おう。

時間や場所に縛られずに自分がいちばん実力を発揮できるコンディションで正々堂々と試験を受けられるのであればそれでいいじゃないか。加点方式だろうと減点方式だろうと、ベストを尽くした人間のその「ベスト」を知るほうが実力を測る上では正確だ。というよりも、何も「公平」なことに拘る必要はない。

もちろん、カンニングなどの諸問題があるだろうが、目的論を議論している間に考慮されるべき問題ではない。

 

19世紀にフランスで普及した「映画」は、時代を超えてインターネットでアイカツ!を見れる時代になった。150年の時を経て「同じ場所同じ時間に縛られ同じ画面を見る」という概念から開放されたのだ。

19世紀より前からあったであろう試験は、定義されていない「公平さ」をもとに未だ軍隊のようなシステムを引き継いでいる。現状のシステム、Amazonビデオとアイカツ!のアナロジーから学べることがあるのではないか。

 

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まず、オムライス食べな。それから考えよう。

自転車にハマっている話

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最近自転車にハマっている。

高校の課外活動とか、ツイッターの身内で花見行った時以外はここ5年以上の間で1度も自転車に乗ってなかった。そもそも運動ができない人間なので、体を動かすことを楽しいと思ったことがなかった。

それが変わったのはここ数週間の話。以前も少し書いたが僕はアニメに影響されやすいオタクなので南鎌倉高校女子自転車部を見てから自転車に乗りたくなった。

 

僕は自転車を持ってないので、身内で自転車をあまり使ってない人からクロスバイクを借りることにした。最初は近場の室内プールまで往復してみて、どんな感じなのか試してみた。

僕は基本交通手段が徒歩か電車なので、その間の速度というのを長いこと経験していなかった。意識してみると不思議な速さで、歩いている人にはぶつかりそうだけど走行中の車からはぶつけられそう。そんな危急存亡な状況とは裏腹に、風をすり抜ける爽快感が合って気持ちいい。

どっぷりハマってしまった。

 

ここのところなんやかんや忙しくて家にずっと引きこもって作業してるけど、限界が来たら家を出てサイクリングに出ることにした。サイクリングと行っても8時間もひたすら林をジグザグするわけではなく、家からすぐのところを目的もなく冒険するだけのこと。

僕は家から半径数百メートル以上のところに基本的に用がないので、最寄りの駅から先に何があるのかを知らなかった。他の駅も、駅の周りのコンビニやチェーン店の位置を把握している程度で、その場所が一体どういう場所なのかについて深く考えたことは一度もなかった。また、最寄りの駅から別の駅まで「電車がつながっている感覚」はあるけれど、物理的につながっている感覚はなかった。

それが自転車にのることでつながってきた。RPGで隣町に行く道が開放されたような感覚だ。この道がどこにつながっている、この小道は隣の大通りにつながっているんだ、といった地理的な情報が頭のなかでつながってきた気がする。

 

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近場も飽きてきて、少し遠くに行くようにもなってきた。遠くと行っても、忙しいと言えば忙しいので、自宅から半径20km以上のところには行かないが。基本的に必要な作業用具を持っていって、サイクリングに疲れたらマックやファミレス、もしくはカフェで勉強するといった事を毎日している。

南鎌倉高校女子自転車部でひろみが「自転車は不思議だ」と言った。まだにわかの僕でも同意できる。歩くよりは速く電車よりは遅い微妙なスピード感が、思ったより遠くについたときの達成感につながる。疲れよりも達成感のほうが大きいので気分もいい。こんなに楽しいならもっと早くに自転車に乗ればよかったとさえ思える。

 

 

 

個人的には「自転車は素晴らしいからみんなも乗ろう」といった美談にした方たのだが、実はそううまく行かなかった。

 

先日自転車に乗った帰りに坂道を下る際、間違えて前輪にブレーキを掛けてしまい横転し、頭を打って怪我をしてしまった。

ヘルメットをしていたので最初の衝撃は抑えられたが、反動で大きめだったヘルメットがずれてしまい、2度めの衝撃で頭に傷を負ってしまった。

大した傷ではなかったのだが、首もむち打ちみたいになってしまった。また、何故かあとで熱を測ったら高熱だったので、脳外科に検査に行くほどの大事になってしまった(頭を打って熱を出すことはないので、たまたま同じ日に風邪を引いただけだとあとでわかったが)。

要するに何を言いたいかって、調子に乗りすぎてもいけないってことですよ。ヘルメットは大事ですよ。

 

 

 

そんなことがあっても傷が治ってきてまた自転車に乗りたくなってきた。やっぱり自転車は不思議だ。

まあちゃんと気をつけていれば大きな怪我をすることはないと思うのでみなさんも乗ってみたらいいと思いますよ。ちゃんとヘルメットを付けて水を飲んでこまめに休憩をするような健康で安全なライドは楽しいはず。特に運動不足のオタクにはおすすめ。脚の力だけで知らない土地に行けるなんてワクワクするでしょ。