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一般男性の公開ポエム

体調が悪い時は完全食COMPを頼れ

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ここ数日体調が酷くて辛い。熱が38度以上あり、頭痛と鼻水が止まらない。悪寒がして正直ベッドから出たくない。なのにがっこうは行かなければいけないのでクソ。 

バイオテロかよ。

 

熱がある時に何が一番つらいって、食べるものが本当に限られてくることだ。どう限られてくるかというと、食べられるもののバラエティがそもそも少ない上に食べ物のストックがあるとは限らない。消化が良いものを食おうとしても必ずしも家にあるとは限らないし、もしもなかったら買い出しに行かなければいけない。しかし買い物に行くほどの気力がなかったら野垂れ死ぬ、もしくは部屋で餓死するしかない。

体が動かなくて「これでも坂を降りて飯を調達しなきゃいけないのか……」と思っていた矢先に以前書いた記事を思い出した。

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この記事では完全食COMPがコンビニの商品と入れ替わる可能性を議論したのだが、僕は「どろどろしている」「お腹が膨れる」といった要素に注目した。消化に良く、作るのは簡単、そして満腹感を得られるというので体調が悪いときにはちょうどいいじゃないか!

ということで、完全栄養食COMPで全ての食事を賄うことにした。

今回は野菜ジュース。野菜ジュースもある種の栄養食なので、栄養食×完全栄養食だ。とりあえず生きるだけの栄養は十分に確保されている。そして胃に負担がかかるわけではないので、好きな時に好きなだけ飲める。

とりあえず栄養食とジュースが手元にあるので、思う存分寝込める。正直、COMPなしでは此処まで引きこもるのが楽になることはなかったと思う。味も悪くないので贅沢な病人引きこもり生活が出来る。

病人には特に勧めることの出来るブツだと思う。

 

FAQ 

Q. 作るのは面倒じゃない?

A. 栄養食を自作するのは面倒だけどCOMPだったら完成品を直送してくれるので楽。ただお金は少しするよ。

 

Q. 本当に胃に負担が少ない?

A. 科学者じゃないので正確な答えを出している自信はないが、僕はそうだと思う。本当にドロドロした準液体で、歯を使う必要がないくらいなので消化には絶対良い。

 

Q. でもお腹いっぱいになるの?

A. はい。

 

Q. 味はどうなの?

混ぜる飲み物によって変わるよ!個人的におすすめするのはグレープフルーツジュース。完全栄養食自体が甘めに調整されているので、酸っぱくてくっきりしたグレープフルーツの味がちょうど佳い。ただ、同じ味を三食続けると飽きるので他の飲み物も試してほしい。牛乳とかお茶でも混ぜられる。もちろん水も可!

 

Q. おかゆでよくね?

A. 粥は作るだけで相当手間がかかる。まあコンビニで売っている即席のやつを調達するのもありだが、味にそこまでバラエティがあるわけではないので直ぐに飽きる。その点、栄養食だったらジュースを牛乳なりスープなりに変更するだけでだいぶ味が変化するのでアド。

 

Q. 栄養偏ったりしない?

A. 病人には塩分が足りない気はする。あと水分も取ったほうがいいので栄養食の他にポカリスエットアクエリアスをこまめに飲んでほしい。これらの飲み物には微量の塩分が入っているので、発汗に良い。

 

Q. カネ……

A. 一応自作するっていうのもあるよ!でも作る時に一度に大量に作らなければいけないこと、あと溶解しづらい可能性も考えるとCOMPをおすすめしたい。「ソイレント 自作」で検索すると色々なレシピが出てくるのでこちらも参照を。

 

Q. 準備、後片付けは面倒?

A. 準備はシェイカーに飲み物と粉を混ぜるだけ。洗うのもボトル一本を洗うだけなので楽。デカいパックならゴミもそこまで出ないので環境にも優しい。鍋や炊飯器の器を洗ったりあれこれ食器を流す必要もない。

 

Q. 大学いけ

A. 体調悪いって言ってんだろ。

 

www.comp.jp

もう、無理に大学に行かないでアニメを見るか投資家になればいい

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先日、階級制度について考察するエントリーを書いた。

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この記事では「平等という概念において、権利と機会は別のものとして考えるべきである」「そこまで合ってないものに無理に合わせる必要はない、そもそもその選択肢は全体で見てlose-loseの可能性がある」といった事を伝えたかった。

この議論において、学問や教育も同じテーブルで話すことが出来る。

現代の日本を始めとする先進国は、大学に行くことある種のステータスと化している。概念自体は大きく間違っていないが、大学を単なる昇進のための場所として扱われていることに疑問を持つ。事実、ハーバードよりも難しい倍率100倍の「最難関」と呼ばれている大学は、実は職業専門学校だったりする。

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正直なところ、カネを作るためにに百万単位のカネを注ぎ込むことはまあ馬鹿馬鹿しいと思うが、それ以上に「大学に行く必要がない人」が無理をしてでも大学に行かなければいけない現実が恐ろしい。他にもハーバード、オックスフォード大学など世界中の名門・難関大学を見ると、大学で勉強することは無条件で正しいことで、キャリアアップには必要不可欠のものといった前提で話が進まれている。しかし、それは本当だろうか?

「平等は絶対的に優先すべきだ」といった概念は「大学に行かなければいけない」といったレトリックに大きく反す。大学は個人個人の経済的状況や性格を考慮した上、それでも行く理由がない限りは本来行く必要がない。現在の富裕層は大学に行かなければ将来成功しないような社会を作った上で、それによって生じる貧困層の苦労の一切の責任を取らない。その上「世の中は平等だ」と謳い追い打ちをかける。

実際に僕は高2の進路調査で「就職」と答えたところ、当惑され色々と質問攻めにあった。進学校だったからまあ予想はつくが、正直僕には大学に行く理由が本当になかったのだからほっておいてほしかった。まあ実際に大学に行きながらこのエントリーを書いてることはかなり滑稽ではあるが。

 

僕は、世の中の大半のエスタブリッシュメントに反し、新しい生き方を提唱したい。「大学に行かないでアニメを見るか投資家になる」ということだ。

今の大学には、無駄が多すぎる。企業に就職するための場所と化していて、目的と副作用が完全にすり替わってる。もしも本気でカネを稼ぎたかったら投資家にでもなればいい。

最近は仮想通貨に投資すればハイリターンの可能性は前よりも十分あるわけだし、確実にそこらの企業に務めるより確実にいいはずだ。良心的な会社ってのもなくはないんだろうけど、明らかにブラック企業と呼ばれるたぐいのものが増えている。そんなとこに忠誠を誓うくらいなら投資家になって稼ぐギャンブルの道を選んだほうが合理的ではなかろうか。

もちろん、大損する可能性はある。しかし、40年間も雀の涙ほどの給料を得るために企業に忠誠を誓い続けるほうが損ではなかろうか?

日本にはそこそこはセーフティーネットがある。それは生活保護であったり最低賃金であったりする。このような社会保障の問題はさておき、酷く負けても即死することは早々ないし、敗者復活のチャンスも有る。これを選ばないくらいに魅力的なものが一般的な就職にあるのか疑問だ。

 

それでも企業に務めたいと考える物好きの人は、大学に行かずに企業目線で「求められているモノ」を探すためにアニメを見ればいい。

アニメと言ってもピンからキリまであるからなんとも言えないけど、その「求められているモノ」に近いものを考えるヒントをくれるものがいくつかあるから紹介したいと思う。

 

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。

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通称俺ガイル。この手の作品では王道。主人公比企谷八幡が「奉仕部」に所属し、他の二人の女子部員と共にその名の通り奉仕活動をするというもの。いわゆるネガティブ思考のぼっち(実際にそうであるかはここでは置いておいて)である八幡が活動を通して社会とか変わった時にどのような反応をするのかを反映している。序盤はラブコメ臭が強いが2期ですべてを総括し人の根源的な欲望に迫る。「知りたい」「知ってほしい」といった欲望とそれに反する現実を一つ一つ丁寧に描写している。

企業のような場では、協調性とコミュニケーションが求められる。しかし、「求める」行為は本質的に一報性があり、結局うわべの関係性しか保たない。そのような場面で個人がどのように環境に適応するのかをこのアニメははっきりと示している。中高6年間の部活で集団性というものを学ぶらしいが、そんな非効率的に学ばなくてもこのアニメを12時間見るだけでそれ以上のものを得られる。このアニメを見て得ることの出来るスキルは就職する際に便利になるだろう。

 

 亜人ちゃんは語りたい 

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亜人」というマイノリティが存在する世界で、生物教師高橋が亜人である女子生徒をサポートするというもの。亜人は童話や神話に登場する特性を持ったヒトで、それによって日常生活に支障をきたしたり周りから一線を引かれたりする。そのような生徒達が先生のサポートでコミュニティを作り成長するというもの。

この物語は、「亜人」といった存在しないキャラクターに置き換えることで「マイノリティに対して何をすべきか」「気を使うとは何か」「マイノリティは何をすべきか」と言ったアイデアを明確に示している。

バリアフリー化や同性婚への理解などは恐らく解消されないだろう。何故ならば我々は他人を理解することが出来ないから。集団において重要なことは他人に気を使うことではなく、個人個人が自身の役割や出来ること出来ないことを明白にすることだ。相手のことを理解したふりをする上辺の関係では駄目なのだ。特にマイノリティという理解することが余計に難しい存在がいる環境では、そのようなことをもっと意識する必要がある。そして、それはマイノリティも然りなのだ(マイノリティじゃない人間が一方的に気を使うというわけではない。というよりも、マイノリティも十分気を使って生きているといういことは実はあまり考慮されていない)。

マイノリティに関する議論がまだ発展途上の社会において、企業はそのような道徳的な視点を持つ人間を見るだろう。企業内の関係性だけでなく、顧客とのコミュニケーションにも必要とされるだろう。とりあえず亜人ちゃんを見て考えを深めるのはどうだろうか。

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その他

他にもいくつか有るだろうが、此処では割愛。他にも知っている人がいたら是非教えて欲しい。というのも、僕もこれを実際に実践したいからだ。

 

 

お前それ本気で言ってるの?

これに関してはもっともな質問だと思う。じゃあ僕が今すぐ中退して俺ガイルと亜人ちゃんを見直したり投資家になったりするか言われたら微妙なところだ。そもそも僕が大学に入学したのは非常に消極的な理由だったが、それでも「就職」「カネを稼ぐ」といったこととは程遠い理由だった。

それに本当にアニメを見ることで就職に有利になるかは疑問だ。実際に俺ガイルや亜人ちゃんを見た人間は何十万人もいるだろうが、そのうちの何人が実際に就職に有利に回ったかはわからない。

投資だって失敗する。先日もビットコインが大暴落したし、投資が100%安定するということはありえない。常にリスクと隣り合わせで生きるのが嫌という人もいるだろうし、そもそも企業に勤めるような形で徐々にお金を集めるスタイルが好きな人がいるだろう。だから僕が言ったことを全ての人間に勧めることができるわけではない。

結局、絶対的な問題の解決方法というのはないのかもしれない。

しかしアニメを見るにしても投資をするにしても、すべての人はある種平等な機会を持って実行することが出来る。それは目に見えない階級があっても階級制度は事実上存在しない日本や他の社会において、ある意味同調圧力で大学に通わせるよりも道理にかなう。それに、先程述べたように大学が一種の職業訓練学校と化している現実を見ると、本当に大学に行くことが無条件に正しいことなのか疑問が浮かぶ

 

現在、様々な教育者が現状を変えようと必死にがんばっている。それは今まで以上にアクティブラーニングに重点を置いた教育だったり、AOや推薦などのヒトを見る入試だったり、返済不要の奨学金制度だったりする。それは大いに評価に値することなのだろう。

しかし、このような事をすればするほど教育を受けたり学問を追求することが一種のアッパーカーストになる。それは階級制度を前提とした階級ではなく、「みんな違ってみんないい♡」を前提とした平等社会におけるエラーだ。貧困層はますます無駄に努力を強いられるようになる。

もっと根本的な変化が必要なのだ。

今後高等教育の事を考察する人がいたら、アニメを見ろとは言わない。そんなこと考えてないで投資しろとも言わない。ただ、大学に行かなければいけなかったり大学が企業に媚びを売るためのアイテムを揃えた場所になっている現在の状況がある種社会の闇を反映しているということを考慮していただきたい。 

 

e-freetext.net

 

北朝鮮情勢の未来と合理的判断

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北朝鮮6回目の実験をしたという。地震からどれだけ大きな実験だったのかを予測できる。「広島の原爆の10倍の威力」とは、世界を震撼させるには十分な強さだろう。

www3.nhk.or.jp

当たり前だがお隣の日本としては溜まったものではない。アメリカでも、最近のニュースはかなり北朝鮮情報でいっぱいになっている。

 

ここで重要なのは「北朝鮮がどうするか」と言うことと同じくらい「大国(中国やアメリカ、ロシア)がどのような行動に出るか」「行動を終えたあと、世界はどのような形に見えるか」だろう。考え方によっては、テレビで放映されている専門家の予測は見当違いなものになるかもしれない(実際にひるおびとか報ステで言ってた予測はあまり当てにならなかった)。

恐らくだが、アメリカも北朝鮮も火をつけることはない。それはお互いにリスキーなので、最後の最後まで暴力沙汰にはしない気がする。北朝鮮はアメリカと戦争したら勝運がゼロなのは理解しているだろうし、かといってトランプも今戦争を起こしたら今度こそ支持率が底に達するだろう。そもそも、核戦争を起こしたら世論調査が出来るほど人が生き残るかすらわからない。

じゃあどうなるかというと、最終的には現在の北朝鮮が中立国として再建するのではないかと思う。金正恩としても今のキムファミリーを未来永劫維持することが第一というわけではないだろうし、かといってアメリカが北朝鮮を倒したら朝鮮半島が親米になってしまう。丸く収めるにはあくまで北朝鮮を中立国にした上で、金正恩の首は取らないで何処かに匿い、新しい民主主義国家を作り直すことだろう。

在韓米軍は撤退するだろう。どうせ沖縄にいい基地があるわけだし、38度線に問題がないなら韓国に残る義理はない。

となると、中国は朝鮮半島に進出する。これが何を意味するかというと、アメリカと中国の境界線が38度線から日本海に変わるということだ。これはアメリカから見ても中国から見ても問題ないはずだ。

 

もちろん、此処まで書いたことというのはあくまで憶測でしかない。僕が言っているのはあくまで「全てが合理的に動いていた状態」のことだ。しかし世の中の大半の部分は非合理で動いており、もしも今回のようなものが非合理で動いていた場合はかなり危ない。北朝鮮がアメリカに破壊され、もちろん日本と韓国にミサイルが落ちる。アメリカの西海岸は核ミサイルで崩壊するだろう。そして、このようになる可能性は僕が提示した合理的判断を前提とした未来の可能性とほぼほぼ等しい。

ただ、最近行われている北朝鮮に関する議論が「すべて非合理で回っている」ことが前提となっている気がする。しかし、今のところ都市が一つ破壊されるようなことはまだ起きておらず、あくまで一つ一つの国が合理的に動いている可能性はまだ排除できない。

 

だから、今我々日本の住民は「世界が非合理的に回っていた場合」と「合理で回っていた場合」の両方のケースを考察する必要がある。非合理の場合、核シェルターや避難訓練などを徹底する必要がある。これに関してはまだまだ足りていないのは確かだが、危機感がゼロというわけではないだろう。

もしも合理的に回っていたらどうするか。

福岡の目と鼻の先が中国勢となるかもしれないのだ。ある意味、今の北朝鮮状況よりも恐ろしい。

沖縄問題は今後一層激しくなる。日米安保体制は強化される分、沖縄などの在日米軍基地は必要が増すため、地元住民の反応や与野党の議論も変わってくるだろう。

米中関係の防波堤としての日本に対する国際的需要も高くなる。当たり前の話だが、誰一人中国とアメリカの戦争を望んではいない。

そういった意味で、今まで韓国が保っていた責任を日本が受け持つというのはかなり酷な話である。

 

北朝鮮状況が合理で回ろうと非合理で回ろうと、日本はこれから新しい東アジア情勢に直面する。そして恐らくは悪い状況に陥る。日本海側が現在の38度線と同じような役目を持つというのがどういったことを暗示するのかを今一度考え直す必要がある。

いささか極端でかなり机上の空論になりそうだが、いくつか有る可能性のうちまだ議論がされていない分野を考えることはとても重要だ。特に北朝鮮有事には必ず日本地域の情勢が何かしらの形で変わることを考えると、平和ボケをしていられない。合理、非合理の総合的な判断からこれからの日本と世界の形を描くべきだ。

Chaos;childのアニメは後で見たほうがいい

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Chaos;childというゲームを終わらせた。

i5nb.hateblo.jp

こちらの記事で書いたが、アニメを見た上で続きが気になったので遊んだという所だ。一応ボイスは毎度毎度聞いていたので、なんやかんや50時間近くは遊んだ。

遊んでから思ったことは、アニメは後で見るべきだったなということ。つまり、ゲームを遊んでからアニメを見たほうがいい。

以下、ネタバレは極力含まないようにはするけれども、一応読むなら気をつけてほしい。

 

chaoschild.jp

ゲームのテーマ

このゲームは明らかなメッセージ性があった。それは「知る」ということだ。宮代拓留は「当事者であることに拘り」「情強であると自称し」、新聞部部長という役を使って自分の好奇心の赴くままに動いていた。また、個別ヒロイン√で垣間見る「嘘と真実」ということも、結局は「知る」というテーマに収束する。

「知る」という行為をする上で一番重要なのは、前提を疑うことだ。それは信心や執着を捨て、知っているものに対して疑問を持つことでもある。共通√やその先で起こる拓留の心情の変化は、「情報強者」「当事者」といった言葉に必ず疑いの精神が付随されていることをはっきりと示した。

このようなテーマはアニメを見ているうちは本当にわからない。物語の軸がどこに置かれているのかを理解していない限り、視聴者は当惑してしまう。

 

感情移入

この物語を理解する上で一番重要なのは、視聴者やプレイヤーがいかに主人公に感情移入できるかに尽きる。

アニメで移される拓留は、チキンそのものだ。最初にアニメを視聴した際、身の回りで起こる不可思議な現象に対して、頭を抱えて走り回ることばかりしているような印象をもった。

実際のゲームでは拓留の心情が様々な視点から映されている。それは怯えている拓留だけではなく、軽蔑をしていたり安堵をしていたりする姿も含まれる。そして、そのような感情に対する共感と言ったものがノベルゲームでは必要とされる。

アニメ版Chaos;childでは、感情描写の多くを飛ばして進めていたため、視聴者は拓留の心情を読み取ることが出来ない。だから「ただのサイコパスグロアニメ」としか取れないのだ。実際の脅迫的状況や死を悼む描写というのが何一つ紹介されていなかった。

もしもゲームを遊んでからアニメを見た場合、このような感情的描写を必要としない。何故ならば、ノベルの方で全て一通り見ているのでそんなこと言われなくても理解できるのだ。

そもそもアニメは第三者視点で描かれるものが大抵なので、「ゲームで見たやつが動いてる!」くらいのものになるだろう。

 

話の展開

ここからはネタバレを含むので反転。既にゲームをした人を説得させる程度のものです。

話の展開がかなり急だった。特に1話の詰め込み具合が酷かった。拓留のスマホがパクられたとことかもカットされてたし、乃々の正体をバラすあたりがすごく適当で、その上拓留がショックを受けた感じもなかったし。

僕がもしも製作者側だったら、2クールか3クールにしてでもゆっくり描写を映して恐怖を煽りつつも展開をスローに見せてた。まあ製作者の人達も1クールでやりたくなかったんだろうし、裏に色々と事情がありそうな気もするけども、それならそれで今アニメ化しなくていいんじゃないか。

それを踏まえて考えると、お金とか色々な事情で1クールでしか放送できなかったけどゲームを既にプレイした人が楽しめる作品にしたんじゃないかなと思った。それだったらあの話の急展開もそこそこ説明がつく。

 

そういうことで、アニメもゲームも触ってない人で作品に興味があるのなら、ゲームから先にやったほうがいいでしょう。アニメのほうが手っ取り早いけど、その分心情描写を見落としてしまい、なんやかんやでネタバレキラーになってしまうのはなんとしても阻止したい。

もしも今からゲームをやろうとしている人がいたら「カオスチャイルド症候群」(反転)という単語だけは最後の最後まで調べないでほしい。何故このゲームのタイトルがChaos;childなのかを示すのか以上に、色々と重大なネタバレがそこに含まれているから。そしてネット上にはこの単語に関する説明が色々とあるので、ゲームを最大限楽しみたいのであれば調べないことをおすすめする。

 

タイトルとは少し趣旨がずれるけど、ゲームの作品自体はとても楽しめた。間違いなく人にすすめる作品の一つである。心を抉られるような描写がいくつかあったが、それ以上にほろ苦くてドロドロとしていない斬新な作品だ。iPhoneAndroidでも気軽に遊べるという点を考えても、いい事づくし。これを読んで興味を持った人には一度遊んでみることを勧める。

 

 

 

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有村雛絵ちゃんがおしっこをした現場。なんでヤジュセンと遠野がいるんですかね...

 

階級制度は絶対的に悪なのか?

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今の時代で「社会階級」というものは絶対的に悪だとされている。そして、「平等」とは無条件に善だともされている。

歴史的に見て階級という制度があることが原因で苦しんできた人がたくさんいるからだ。例えば日本だと「えた」「ひにん」と呼ばれたり、インドだとアウトカーストと呼ばれる被差別民の経験を明らかにすると、社会階級の闇というのが見えてくる。歴史が伝えるのは、階級制度とは一定のグループが得をする代わりに一定のグループが損をするという関係性を強要してしまうので人はみな平等であるべきだ、ということだ。

そして実際に現在目に見える「社会階級」というのは少なくなっている。王室があったとしても国民の中で被差別部族がいるところは少しずつ減ってきたし、日本だって天皇人間宣言以降あくまで「国民の象徴」として区別されているだけだ。もちろん、封建的なやり方をしている国もまだまだあるのだろうけれども、極めて少数派になりつつある。

生まれたときから何処かの階級に属して、その階級から永遠に出ることがないというのは倫理的に悪だとされている。そして人は口を揃えて「平等であるべきだ」と言う。

けれども、現代社会で階級制度は疑うこともなく悪であって存在してはいけないものなのか?

 

今の日本には階級制度は形式上は存在していない。サラリーマンだろうと学生だろうと老人だろうと在日だろうとYoutuberだろうと金持ちだろうと障碍者だろうと美女だろうとブスだろうと農家だろうと犯罪者だろうとゲイだろうとバイだろうと、どこかの「階級」に属するということはない。

しかし、実際には目に見えない形で階級は存在する。 ーーー格差だ。収入の格差だけで言ったら、年収1億円の家庭と100万円のシングルマザー家庭で育った子どもは明らかに別の人生を歩むことを強制される。そして、1億円の環境で育った子どものほうが100万円の家庭で育った子どもよりも「従わせる」立場になる可能性が圧倒的に高い。

従わせる立場にいる人達は、その子どもを従わせる側に引っ張る財力と権力を持っているが、従わされる側の人達はそんな権力も財力も思考もない。今を生きるのに精一杯で、先のことを考えることに思考が向かなくなる。だから延々と格差は広がり続ける。

これはある意味の階級ではないだろうか?教育や親の財産によって生まれたときからどのような人生を歩むのかというのがかなりプリセットされている。

 

僕が今呼んだ「階級」とは、日本に潜む目に見えない形の機会的差別の話だ。そして目に見えないからこそ、問題が起きてると思う。

例えば、少子高齢化と東京の過密化とかはまさしくこれだろう。

建前では、日本人はみな平等とされている。だからどこに住むとかどこで働くとか、そういった「機会」に関しては皆平等であるとされている。

最近の若い人たちというのは辺鄙な田舎出身だろうと東京や大阪出身だろうと、18歳から25歳あたりを東京や大阪で過ごすことが当たり前になってきている。どれだけ田舎の貧乏な家庭に生まれても、上京して就職したり大学に進学する事が多い。その結果、都会(特に東京)で人口がありえないほど増加してパンク状態になっている。

確かに、都会にはクラブとかバーとか遊園地とか、田舎だとアクセスしづらく行ったとしても対して人がいない場所がたくさんある。バイトとかをする上で賃金も良さそうだし、色々と魅力的なのかもしれない。

ただ、この魅力に釣られて格差社会で都会に対する適正を得られなかったのにも関わらず、無理して都会で辛い思いをしている人を何人も見てきた。人混みが苦手みたいなのはまだしも、お金の使い方を理解してなかったり、そもそもお金を持ってなかったり、教育格差でコンプレックスを持っていたり。そんなら無理に都会に出なくてもいいのにとは思うのだが。

それと、この前痴漢に関するエントリーを書いたのだが、こういった不幸というのは満員電車とかいう形で都会の住民も迷惑を被るのだ。地方の方だって、若い人たちが高校卒業してからこそこそ出てって二度と帰ってこないという現状をよくは思ってないだろう。つまり、都会の人達にも地方の人達にもあまりいいニュースではないのだ。

僕が言いたいのは、地方から都会に出る流動性が高すぎるのはデメリットが大きすぎるということだ。確かに地方から出てくる人達の中には都会に出たほうがいい人もたくさんいるだろうけれども、大多数はみんなで地方に残ればみんなハッピーなことが多い気がする(都会に出ないほうがいい人が一人残るのではなく、そういった人達がみんな一緒に地方に残ったほうがいいよねって話)。

 

僕は、この流動性の根源にあるのが「平等」というコンセプトだと考える。

みんな平等だから、すべての人に平等な機会を与えるべきだという風潮が強まる。

そしてメディアは都会の様子ばかり、それもロマンチック・エグゾチックに映すため、地方の人達は皆都会を目指す。実際のところ、自己啓発本・ドラマ・アニメとどれをとっても地方を前提とした作品というのは極めて少ない。皆が平等なので地方の人達は「自由」に都会に出る機会を得て、都会や地方そして自分自身の首を締めることになる。

実際のところ全員が「都会に住む」という選択をした場合、短期的には楽しいことがたくさんあるかもしれないが、長期的に見たらlose-loseなのだ。 しかしメディアがある種のフェイクニュースを流し、それによって伴うコストを「平等な選択」という名の下で一切負担しようとしないため、当事者が最終的に大損をすることになっている。

 

都市部過密化や他の様々な問題を解決するには、リベラリズムにおける「平等」という価値観を一度考え直すことだと思う。

機会というのはある種生まれたときから決まっているものである。だからそれを「平等にしなきゃいけない」と一般論的に語るのは邪推だ。

古典的な封建主義的社会の利点として、ひとりひとりが自分の役割を自覚することができたことだ。自分が誰とどのような服従関係にあるのかを明確化することによって、ある種の機会の保証がされていた。「個人」をある程度定義された「集団」に巻き込むことで「個人」と「集団」がある程度利益を得るような構図だった。しかし、現代における自由主義社会の「個人」に自由が無限にあるように見えて実際は「集団」が「個人」に自由を「与える」状況を省みると、この実物像の微妙なズレが全体の利害関係を非合理化しているような気がする。例えばこの平等な選択というレトリックによって生まれる地方と都会の格差の例とかだ。

 

過去の階級制度の問題は、権利の平等が保証されなかったことだ。上の階級にいる人は下の階級の人より多くの権利を有し、まるでモノのように扱った上にそれによって生じるコストに対して責任を取らない、といったことが平然と行われていた。恐らくこのような過去にコンプレックスがあるため、左翼の人達は特に階級制度を嫌うのだろう。

しかし、逆に考えてみて「権利が平等に保証されない」という前提を破壊さえすれば、現代社会で封建主義的な制度を呼び起こすことに問題がないはずなのだ。例えば住む場所を指定する、ということは「権利の侵害」と捉えることももちろん可能だが、「機会の差別化」と語ることも出来る。

そして、人によって機会を差別化することは必ずしも権利を侵害しているとは限らない。

 

僕は、中国の戸籍制度のようなあからさまな機会の差別化によって権利の差別化を測ることを肯定しているわけではない。国民の基本的な人権というのはそもそも国家から与えられるものではないため、どのような形であっても誰でもわかるような形で侵害してはいけない。

しかし、機会というのはどうしても生まれた時に差別化されてしまうのだ。極端な言い方をすると、男性で生まれたらその場で「子どもを生む」という経験をする機会は排除されるわけだし、明治時代に生まれたらその場でスターバックスMacbookを開く機会は失われるわけだ。だから世の中がリベラリズムで溢れたとしても機会が平等に与えられていると感じるのは実は錯覚なのだ(この記事で最初に書いていたことは便宜上「平等」とされいるが)。

自由主義社会と封建主義社会の違いの一つは「機会が差別化されているか」ではなく、「機会の損失があからさまか」というところにある。自由主義社会は個人に対するケアが大きいため機会の損失を誤魔化すが、封建主義社会は集団の効率化を重視するため比較的明らかなのだ。問題点はそれが「権利の侵害」に繋げやすいというだけである。しかし、自由主義的社会において階級というのは制度化されていないだけで実は目に見えない形で存在し、それが個人個人の機会の損失につながっているということを提示しづらいという問題がある。

結局、手段を変えたところで結果はあまり変わらないのだ。

 

都市部過密化のような問題を語る上で、階級制度という単語があまり出てこないことに違和感を感じる。

階級制度が悪な点も存在するが、実際はかなりの場面で自由主義という目に見えない階級を無視した社会とあまり変わらない事が多い。それよりも、自分の役割を自覚させるという意味で封建的社会にはメリットも存在する。

これから社会問題を語る際、自由主義の手厚いケアの議論だけではなく、封建主義社会における階級制度の是非も議論していきたい。 

 

Facebookと多様性

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2年前のものだが、Facebookの社員があまり多様ではないという記事を見つけた。

www.huffingtonpost.jp

記事によるとFacebook社員の多くは白人であり男性が圧倒的であり、よって多様性が広がってないというのだ。様々な人種がいたり性別を均等な人数で配置されるのは疑う余地もなく「多様な」環境なのだろうか?そして、何故「多様」でなければいけないのだろうか。

 

勝手な予測だが、このような記事を書く人間が考える多様性の強さとは「思想の多様性」なのではないか。つまり、様々な人間がいることで別々の価値観がぶつかりあうので面白い、ということだ。

しかし、様々な人種がいたり女性と男性が同じ比率で存在することが思想の多様性を生むというのは少し早とちりしすぎな結論だと思う。何故ならば、必ずしもバックグラウンドが思想を決めるとは限らないからだ。

例えば、昔の奴隷制度の影響で未だに貧困に苦しむ黒人というのは多数いるが、一方でホームレスの白人だって一定数いる。宗教観においても、比率は違うかもしれないけれども白人と黒人とヒスパニックの中には一定数キリスト教徒がいて他の宗教を信仰する人もある程度いるのだろう。別に人種がどうこうの話だとは思えない。

そもそも、ハフィントンポストの読者を含むリベラル派の人達はGender Stereotype (性別に基づくステレオタイプ)をとことん嫌うのだが、企業内の性別の比率の話なると突然多様性が〜と説教を始める。「男性はこういうふうに考えて、女性はこのような思考をする」と言った一般論を嫌うのに、男性と女性の比率が多様性を育むといった持論を展開するのはおかしくないか?その一般論を否定するということは、男性が何人いようと女性が何人いようと彼らの言う多様性と言うのは本来変わらないはずだ。

 

僕の持論なのだが、彼らの言う「一番多様な環境」というのは日本の公立の小学校だと思う。

公立の小学校は「同じ地域から来ている」「年代が同じ」というフィルターだけで児童を集められている。だから男女比がバラバラになるかもしれないし、金持ちから貧乏まで様々な子どもが集まる。親の政治思想も極右から極左までいる。キリスト教徒も学会員も一定数いるだろう。在日やハーフもいるし、場所によっては特別学級も用意されている。僕のいた小学校は、下級生に脚の不自由な子が入学すると決まったので急遽バリアフリー化とエレベーターの設置を決定した。

「住所が近い」というもの以外は特に選別されていないため、本当にバラバラの人達が集まる。バックグラウンドや経験においても違うものを持っている子どもだらけなので、思想が違ってぶつかり合うという彼らの理念にも一致する。

 

だから、そこまでFacebookやハフィントンポストが欲しがってる「多様性」とやらを実現させたかったら抽選システムなり住んでる地域に限定した選別なりをすればいいと思う。まあ、アメリカなら同じ人種があつまって一つの地区に住んでいたりしそうだし技術の強さとかに制限が掛かりそうでもあるし、何より「多様性」とやらが存在するかどうかすら怪しいが。

 

 

ネット民の痴漢の見解はおかしくないか?

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以下のネタがバズった事がちょっと残念だ。

今インターネットで痴漢の話をすると、必ず痴漢冤罪が付きまわってくる。それは必ずしも大きく間違ってることではない。そういった事案があるっていうことをより多くの人に知らせるということは大事だと思う。実際に現状のシステムだと痴漢冤罪にかけられると未来が真っ暗になるので、より多くの人が理解する必要がある。

ただ、この動きで痴漢をないがしろにするのは、むしろ問題を悪化させるだけではないか?

 

僕は最近の行き過ぎた「痴漢の定義」についてはかなり懐疑的なのだが、このような痴漢冤罪関係のツイートに関してはちょっとどうかなと思う。それは仮に罪滅ぼしに「いや、痴漢も痴漢冤罪も良くないと思いますよ」と付け足したとしてもだ。何故ならば、言っていることと実際に考えてることが乖離しているからだ。それが単なる「ネタ」だとしても。

この缶バッジが訴えているのは痴漢をやめろということだ。それ以上でもそれ以下でもない。このツイートはそれに対して痴漢冤罪で難癖を付け、この缶バッジに対して批判をしている。確かに痴漢冤罪というのは存在するが、缶バッジに対する批判材料には本来ならないのだ。

はっきり言ってクソリプだ。

 

僕は、痴漢冤罪を減らしたいんだったら「痴漢をやめよう!」と言っている人達をネガキャンするのではなく、実際に痴漢を消せばいいと思う。そして理論上は出来なくもないはずだ。

一つは痴漢の原因となる満員電車の解消だ。特に首都圏のラッシュアワーは人権侵害と言ってもいいほど電車が混む。あそこまで人が詰められると、仮に痴漢をされても誰が触ったかわからなくなる。また、周囲にいる人も他人の下半身をジロジロ見ることすらできない。痴漢には絶好のチャンスだ。

また、満員電車内だと仮に痴漢をされて勇気を出して声を上げても間違えた人を捕まえてしまう可能性がある。それに便乗して、実際には痴漢をされてないのに「痴漢された!」と大声を出して民事訴訟してカネを巻き上げようとする輩も出てくる。そういった意味で、満員電車は痴漢冤罪のリスクが非常に高い。

だったら満員電車を解消すれば根本的に電車内で痴漢をするリスクも痴漢冤罪も減る。例えば電車の本数を増やしたり、バス網を広げて路線を増発すればいい。渋滞が心配なら、シンガポールERPのように課金型の交通規制を儲けて交通量を少ない道に流せばいい。中国みたいに、乗り捨て可能な自転車を流行らすことだって出来る。本当にどこまで効果があるかはさておき、満員電車を解消するだけだったらこういった案がいくらでも出る。

批判をするんだったら痴漢をやめようって言っている人達に投げるのではなく、痴漢をしやすい環境を放置している行政にすればいい。痴漢を減らそうと努力している人にハッパをかけるのはお門違いだ。

 

あとは「痴漢ってかっこよくないよね」というメッセージを広めることが重要だ。

極論を言えば、痴漢という行為そのものがなくなれば痴漢冤罪はなくなるはずだ。仮に誰かが痴漢をすることが絶対的にありえない世界なら、誰かが「この人痴漢です!!」と言ってもそれは一瞬で冤罪だとわかる。

現実的かと言われたらかなり無理があるが、みんながちょっとずつ「痴漢はクールじゃない」と思い始めれば痴漢をしている人も痴漢をしなくなるかもしれない。そういった意味で、このような缶バッジは有効的だ。痴漢とは明らかな犯罪なので、痴漢は悪だと主張し続ければいい。

 

そのような意味で、現在「痴漢をやめよう!」という人がいると必ず「お前は痴漢冤罪を知らないのか!」とでしゃばって来るネットユーザーは少し頭を冷やすといい。痴漢冤罪は確かに難しい話だけど、痴漢を減らそうとしている人に対してそれをぶつけたところで自分の首を絞めるだけなのだ。