偏差値2那由多

一般男性の公開ポエム

ペルソナ5をクリアした

ブログ書く書く詐欺を繰り返してたけど、結局書くことは一度もなかった。

 

 書く気がなかったというよりは、忙しかったからだ。 

ずっと何かしなきゃいけないんだろうなってことは頭でわかってたんだけど、ペルソナ5というゲームを始めてしまって他のことが全く進まなかった。

で、やっとクリアした 

ネットでレビューがある通り、ペルソナ5はアトラスの歴史に残る素晴らしい作品になるのは間違いない。色々と終わらせてから思ったことがあったので少し書いてみようと思う。

ここから先、ペルソナ5やペルソナの前作(3、4)のネタバレがあるのでプレイ中の人やまだプレイしてない人でこれからプレイする予定がある人は見ないほうがいいです。あと、全く関係のない閃の軌跡のネタバレも少しするので、閃の軌跡のプレイが終わってない人も見ないほうがいいと思う。

 

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意識高い系のイベントを見学した

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あの忌々しい試験も肌寒い季節も終わり、気が楽になった。春の温かみをやっと感じられるようになった。ツイッターも再開した。いえーい……

 

色々と暇になったので、幾つかのことを試している。新しいゲームを始めたり前から気になってたことの調べ物をしたり久々にフォロワーと遊んだりして割りとリア充(笑)してるのだが、一番変わった経験だったのはいわゆる「意識高い系」の学生団体のイベントの見学に行ったことだった。見学してみて面白かったらこういったイベントにもっと積極的に出ようかなと思っていた。我ながらとても珍しいと思う。

僕が参加したのは、ちょっとしたボランティアのイベントだった。ボランティアを通して、組織外の人とも話をし、様々な方向で影響を与えようというもの。特定されたくないのでこれ以上は伏せる。

結論から言うと、僕に意識高い系は合わなかった。引きこもろう。

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アイカツ!とAmazonとテスト

アイカツ!に熱中している。

以前の記事にも書いたが、忙しい。忙しいからこそ僕は手元にある「何か」を無理やりオアシスと呼び、虚構の安堵を求める。今のそれがアイカツ!だ。

本当に捗らなかったりどうしようもないときに携帯を開いてアイカツ!を見ると心が浄化されたような錯覚を覚え不思議と作業に戻ることができる。多分、子供向けコンテンツだからこそ世の中のドロドロした側面を見ないで済むため、純粋に頑張ってる女の子を見て「自分も頑張らなきゃ」と非論理的に自身を戒めることができるからだろう。ちなみに僕の好みは紫吹蘭ちゃんです。

これのお陰で何度も助けられた。アイカツ!の制作陣には感謝しきれない。

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ただ、アイカツ!よりもありがたいものがある。それはビデオ・オン・デマンドだ。仮にビデオ・オン・デマンドが存在していなかったら、アイカツ!がそこにあったとしても僕はアクセスできなかっただろう。

NetflixAmazon videoでプライムビデオを見始めてから動画を見る効率が劇的にあがった。アイカツ!の他にも映画が豊富にあったりして、色々とアドだと感じる。

そもそも、僕は映画館があまり好きではない。1時間半も同じ画面を見続けると頭が痛くなるし、せいぜい40分程度で集中が完全に切れる。面白いシーンの途中でも集中が途切れてしまうが映画は一時停止できないので、どうも冷めてしまう。

ビデオ・オン・デマンドなら自分が好きなときに一時停止できるので便利だ。自分の集中力や頭のキャパシティと相談しながら見ることができるので、映画を見るのも苦ではない。

アニメはもっと良い。大体のアニメが24分、エンディングが始まるまでの時間が20分から22分なので、集中力の持続範囲で見れるから「もうちょっと見たいけど集中が切れてしまった」といった映画の問題点をすべて排除しているので心置きなく楽しめる。

こうして僕はAmazon videoのお陰でアイカツを好きなときにちょうどよい時間内で視聴している。極楽だ。

 

 

集中力の持続の話といえば、最近の悩みの種になっているのが試験だ。僕が今受けている試験は、運が悪ければ1日のうちに7時間テストを受けなければいけない。それが何日も続くことがあるのだ。実際に僕は月曜日から水曜日にかけてこの地獄を味わった。そのせいか体が動かず昨日(木曜日)が一日潰れてしまった。恐らく今日も体を動かすことはないだろう。

僕は彼らが何を測っているのかがわからなくなってしまった。そもそも2時間半も続けて同じ科目でテストをする必要などどこにもない。これではただのスタミナ勝負だ。

試験とは、実力を測るのが目的だ。学習の成果を見るのではなく、どれだけ体力が持つかで競い合わせるというのは実に馬鹿げた話だ。

大学受験だと「現状のセンター試験はよくない」いった議論をよく聞くが、僕は難関国立大学の二次試験で行われる「最難関クイズショー・ダブルコンボ」のほうが問題だと思う。問題の難しさではなく、二日間に渡る非常に高度な問題を前に集中が続くか続かないかで運命が決まるのはアンフェアとしか言いようがない。

 

ちなみに、海外の一部のテストでは発達障害を患う学生には、医師からの助言をもとに試験の時間を特別処置として長くすることがあるらしいが、個人的に反対だ。自分は発達障害を患ってるわけではない(少なくともそのような診断をされたことはない)から知ったかぶりを承知で言うと、長い時間テスト環境に拘束することのほうが地獄なのではないか。これでは明らかに鬼に金棒だ。それだったら問題数を減らして早く帰らせたほうが「実力を測る」という意味では正当だと思う、少なくとも「集中力の持続や精神の安定」に関する発達障害を患う学生には。

実際に昨日2時間半も拘束され、奴隷のように問題を解かされたときは「何でもいいからすべてを捨ててNaked Diveしたい」とか考えていた。

 

正確に言うと、僕はやろうと思ったら1時間強までなら集中力を持続させることは可能だ。意識的に体にたまった潜在的な力を集中力に変えることは一応できるし、魔剤やコーヒーなどカフェインが入った飲料で化学的に脳を自分の好きな状態にすることも一応できる。

ただそれをすると次の日まで疲れを持ち込んでしまうのがよろしくない。特に今みたいに数日に渡ってぼーっとしてしまうのは時間の無駄に他ならない。もし試験が長期間行われていたり試験の他に大切な用事があるならなおさらマイナスだ。

 

具体的にロジスティクスとしてどのように解決するかまではまだ明確に回答できる段階ではないが、できたらビデオ・オン・デマンドのように「自分の中で最高のコンディションで試験を受ける」ことができたらいいな、と思う。つまり、体調や生活リズム、精神の安定性などを総合評価した上で最適なタイミングで試験を受けるということだ。場所に関係なく24時間使えるインターネットは手段として最適であろう。

例えば、そもそも僕は朝が苦手なので朝が得意な人達と比べると午前の試験において僕は「不公平」な立ち位置にいると言える。だが、この「公平」とは何を基準に判断されたものなのか。現状の試験が公平性を期したものだと仮定したら、この例に反する。

 

あくまで憶測だが、試験という場において「時間が短すぎると問題の量にかかわらず全体で考える時間を減らしてしまう、これでは公平に実力を測ることができない」「全員が同じ場所で同じ時間に試験をうけることが透明性と秩序を守ることができる」といった側面が伝統的に引き継がれているのではないか。もしもそうだとしたら、一理はあると思う。

ただこの反応が、多面的な知識を紡ぐアカデミアの入り口に古くからの軍隊の風を吹かしているとも言える。つまり、同じ場所に全員を整列させ、その人の得意不得意お構いなしに決められたルールに基づいてフラットに採点するということだ。さらに、その採点しているものの大部分が学力ではなくスタミナなのだ。

軍隊ならまだしも、試験という場において全く無関係のはずだ。これは公平だろうか。極めて曖昧だ。

もちろん、これで構わないという人はそれでいいだろう。というのも、僕は「最適な環境」の話をしているので、これが最適だと思うならぜひそうしてほしい。

公平の定義が曖昧な間は一部の間では目標が達成されるが、悪ければ過半数が副作用として失敗する。そう、僕のようにこのような軍隊システムが合わない人は試験中に人一倍辛い思いをする。

 

そもそも、時間や場所を指定するということ、もしくは「公平」という概念そのものがあくまで手段だ。本来求められているものは「学力/実力を測る」ことにあるので、曖昧な定義のもとにある「公平」という概念が目的を妨げるのであれば省いてかまわないと思おう。

時間や場所に縛られずに自分がいちばん実力を発揮できるコンディションで正々堂々と試験を受けられるのであればそれでいいじゃないか。加点方式だろうと減点方式だろうと、ベストを尽くした人間のその「ベスト」を知るほうが実力を測る上では正確だ。というよりも、何も「公平」なことに拘る必要はない。

もちろん、カンニングなどの諸問題があるだろうが、目的論を議論している間に考慮されるべき問題ではない。

 

19世紀にフランスで普及した「映画」は、時代を超えてインターネットでアイカツ!を見れる時代になった。150年の時を経て「同じ場所同じ時間に縛られ同じ画面を見る」という概念から開放されたのだ。

19世紀より前からあったであろう試験は、定義されていない「公平さ」をもとに未だ軍隊のようなシステムを引き継いでいる。現状のシステム、Amazonビデオとアイカツ!のアナロジーから学べることがあるのではないか。

 

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まず、オムライス食べな。それから考えよう。

自転車にハマっている話

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最近自転車にハマっている。

高校の課外活動とか、ツイッターの身内で花見行った時以外はここ5年以上の間で1度も自転車に乗ってなかった。そもそも運動ができない人間なので、体を動かすことを楽しいと思ったことがなかった。

それが変わったのはここ数週間の話。以前も少し書いたが僕はアニメに影響されやすいオタクなので南鎌倉高校女子自転車部を見てから自転車に乗りたくなった。

 

僕は自転車を持ってないので、身内で自転車をあまり使ってない人からクロスバイクを借りることにした。最初は近場の室内プールまで往復してみて、どんな感じなのか試してみた。

僕は基本交通手段が徒歩か電車なので、その間の速度というのを長いこと経験していなかった。意識してみると不思議な速さで、歩いている人にはぶつかりそうだけど走行中の車からはぶつけられそう。そんな危急存亡な状況とは裏腹に、風をすり抜ける爽快感が合って気持ちいい。

どっぷりハマってしまった。

 

ここのところなんやかんや忙しくて家にずっと引きこもって作業してるけど、限界が来たら家を出てサイクリングに出ることにした。サイクリングと行っても8時間もひたすら林をジグザグするわけではなく、家からすぐのところを目的もなく冒険するだけのこと。

僕は家から半径数百メートル以上のところに基本的に用がないので、最寄りの駅から先に何があるのかを知らなかった。他の駅も、駅の周りのコンビニやチェーン店の位置を把握している程度で、その場所が一体どういう場所なのかについて深く考えたことは一度もなかった。また、最寄りの駅から別の駅まで「電車がつながっている感覚」はあるけれど、物理的につながっている感覚はなかった。

それが自転車にのることでつながってきた。RPGで隣町に行く道が開放されたような感覚だ。この道がどこにつながっている、この小道は隣の大通りにつながっているんだ、といった地理的な情報が頭のなかでつながってきた気がする。

 

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近場も飽きてきて、少し遠くに行くようにもなってきた。遠くと行っても、忙しいと言えば忙しいので、自宅から半径20km以上のところには行かないが。基本的に必要な作業用具を持っていって、サイクリングに疲れたらマックやファミレス、もしくはカフェで勉強するといった事を毎日している。

南鎌倉高校女子自転車部でひろみが「自転車は不思議だ」と言った。まだにわかの僕でも同意できる。歩くよりは速く電車よりは遅い微妙なスピード感が、思ったより遠くについたときの達成感につながる。疲れよりも達成感のほうが大きいので気分もいい。こんなに楽しいならもっと早くに自転車に乗ればよかったとさえ思える。

 

 

 

個人的には「自転車は素晴らしいからみんなも乗ろう」といった美談にした方たのだが、実はそううまく行かなかった。

 

先日自転車に乗った帰りに坂道を下る際、間違えて前輪にブレーキを掛けてしまい横転し、頭を打って怪我をしてしまった。

ヘルメットをしていたので最初の衝撃は抑えられたが、反動で大きめだったヘルメットがずれてしまい、2度めの衝撃で頭に傷を負ってしまった。

大した傷ではなかったのだが、首もむち打ちみたいになってしまった。また、何故かあとで熱を測ったら高熱だったので、脳外科に検査に行くほどの大事になってしまった(頭を打って熱を出すことはないので、たまたま同じ日に風邪を引いただけだとあとでわかったが)。

要するに何を言いたいかって、調子に乗りすぎてもいけないってことですよ。ヘルメットは大事ですよ。

 

 

 

そんなことがあっても傷が治ってきてまた自転車に乗りたくなってきた。やっぱり自転車は不思議だ。

まあちゃんと気をつけていれば大きな怪我をすることはないと思うのでみなさんも乗ってみたらいいと思いますよ。ちゃんとヘルメットを付けて水を飲んでこまめに休憩をするような健康で安全なライドは楽しいはず。特に運動不足のオタクにはおすすめ。脚の力だけで知らない土地に行けるなんてワクワクするでしょ。

 

 

 

2017冬アニメ感想

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2017年の冬(1月から3月)のアニメで面白かったのを幾つか簡潔にまとめようと思う。

 

1. 亜人ちゃんは語りたい

ぶっちぎりの優勝作品。実は1話が単調だったので一度切ったが、後日テレビでたまたまやっていたのを見てAmazonプライムで見直したらハマってしまった。

別のところで少し書いたが、これは「萌えアニメの殻をかぶった道徳アニメ」だった。「亜人」というフィクションの存在を代入することによって、マイノリティ問題に対する一つの意見と解釈できる。最悪だった高校の道徳の授業よりもこちらのアニメのほうが道徳について考えさせてくれる意外な作品だった。あとで見直したいと思えるほど好きなアニメがいくつかあるけど、久々に更新された。がっこうぐらし!以来。

 

2.Chaos;Child

妄想科学ADVシリーズの第四弾のアニメ化。カオヘの延長線上なのかな。あまりカオヘのことは覚えていないけど。

シュタゲやロボノもそうだけど、妄想科学ADVって一貫して主人公に感情移入しづらい気がする。だからこそ傍観者的な視点で見れるから面白い。最終話のあたりで全く話がわからなくなったから、夏休みにゲームを買おうと決意した。個人的に印象深いのは、「生きること」に「目的」を無理やりこじつける矛盾に感情的な要素を結びつけたこと。血が流れなくともこれは辛いよなあって見てて思った。

ちなみにアニメのEDは素晴らしかったと思う。

 

3. 南鎌倉高校女子自転車部

亜人ちゃんと同じく、後になって好きになった作品。漫画の雰囲気とちょっと違って1話で切ってしまったが、Netflixで再視聴。

亜人ちゃんやChaos;Childみたいな思いは特にないけど、「自転車って面白そう!」って素直に思える作品だった。漫画のほうが雰囲気は好きなんだけど、チープな作画の反面、リアルに存在する場所をきれいに映してくれたりとして個人的な感情を移入しやすかった。ちなみにアニメに影響されやすいオタクなので、南鎌倉高校女子自転車部を見てから毎日自転車乗ってます。この話、あとでまた書きたい。あとロードいつか欲しい。

 

4. その他

ほかも色々見ていたけど、この上の3つを超える作品はなかったかな。強いて言うならRewriteはわけがわからなすぎて、でも今まで見た12時間を返してほしいのでゲームを購入しようと思う。ガヴドロは面白かったんだけど、サターニャいじめがつらすぎた。セイレンは常木さんにガチ恋したんだけど、常木さん回が終わってからウザくなってきたので途中からほとんど覚えていない。

 

で、

今期は非常に忙しいのでなるべくアニメは見ないようにします。

 

 

 

RENAISSANCE

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決意が固まったのでここで宣言しようと思う。ポエムなので読まなくていいですよ。

 

今日から5月16日までTwitter本垢(@i5NB)を停止します。

 

決意があるのでここで書かせてほしい(他に書くところがない)。誰かに聞かせるというよりは、自分に対する戒めとして。

 

前から言っているが、文転しようと思っている。今の御時世に底辺理系が文系に行くというのも今更すぎると先祖に笑われそうだが、全く割りに合っていない情報コースを抜けて本当に学びたい学部に行くというのは間違ってないと思う。家族には迷惑をかけるが。実際に僕は文系科目のほうが役に立つと感じ始めたし、適材適所というやつだ。

 

僕は先週とあるメールを頂いた。ヨーロッパにある社会科学に非常に強い名門大学から仮の合格通知を言い渡されたのだ。面白半分で受けたのだが、まさか仮合格までもらえるとは夢にも思っていなかった。「退学したい」と叫んでいたら突然やってきたメール。まさに地獄の仏である。

 

しかし、これはあくまで「仮」通知。5月の段階で必要な単位を揃えないと合格させてくれないのだ。

流石ヨーロッパ、必要条件が我儘すぎる。僕には必要ないと思うような単位を取れとせがんでくる。しかし、これを満たさないと本合格にしてくれないというのなので、仕方がない。これから5月まで本気を出して必要条件を満たそうと思う。

 

なので、勉強の邪魔になるTwitterをしばらく停止することにした。まあTwitter辞めたところで逃げ場はあるんだけど、逃げ場を少なくするほうが今の勉強に集中できると思ったのでこれでいいのだ。ちなみに逃げ場とは、何周目かわからないP3F、Flowers夏編の√回収、Minecraft、アニメなど。そっちに逃げるのはいいんだけど、いつも手っ取り早いTwitterに逃げているので、退路を一つ断つことはでかいと思う。

 

Twitterと引き換えに、これからはもうちょっと規則正しい生活をしようと思う。あと水分補給も大事。毎日2Lは飲もうと思う。禁欲もする予定。週に2回はジムか水泳に行って汗を流そうと思う。その分、1日に4つは問題セットを解こうと思う。

 

なんでわざわざインターネットという「誰でも見れるオープンなプラットフォーム」でこんな「一個人のクソどうでもいい感情的戒め」を垂れ流しするかというと、こうでもしないと自制が効かないからと、案外と絶望的な状況に置かれているから。見ての通りクソ不真面目な底辺理系学生なので、なんで仮合格を貰えたのかすらいまいちわからないのだ。

ただ自身を持って言えることがあるとしたら、「前々から抜け出したいと思っていた環境から脱却するチャンスである」「仮合格通知を貰えたことがゴールなのではなく、スタートの門を叩いたら運良く開いただけである」「実は今が最悪のコンディションである」ということ。

 

「実は今が最悪のコンディションである」ことと言うのは、今より酷い状況になることはないということ。消極的に聞こえるが割りと前向きに捉えている。単位を無事取得できる確率、本合格をもらえる期待値が今は絶望的に低い。今から頑張れば十分間に合うので、ギリギリのラインまで頑張って持っていこうと決意したのだ。

  

ちなみに、これはdj TAKAがD.J. Amuro名義で2011年に作曲した弐寺の曲。今の僕の心境に近い何かを感じる。

2011年3月制作のこの曲は、日本中が大混乱する中で生まれた楽曲です。 
今より悪い状況はない、ここから一歩ずつ前に進んでいくだけ、という願いを込めて、 IIDXで最も低いDJレベルを意味する「F」と名づけました 
- D.J.Amuro

 

文化人に憧れている

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昔から専門家に憧れていた。小さい頃はお笑いやバラエティ番組を自由に見る人権がなかったので、どちらかと言うとドキュメンタリー番組や社会的な番組をテレビでよく見ていたのだが、そのような番組で必ず一人は出てくる専門家がかっこいいと思っていた。番組の司会が話を振ると臨機応変に的確で簡潔な回答ができるという能力がかっこいいと常に思っていた。池上彰は好きではないが知識で武装して大衆を圧倒する姿は今でもかっこいいと思う。

似たように文化人に対する憧れが体が大きくなるに連れて膨れ上がった。といっても、文化人に憧れたのは割りと最近で、昔は「浅く広く」という概念を肯定していなかった。中学受験の算数は楽しかったが、中学に入ってからそこまで使う機会がなかったので、小学生時代にあそこまで必死に算数をやった意義が見いだせなかった。中学生の頃は化学と経済が得意だったが、「こんな実用性のないこと習って何になるんだろう」と常に思っていた。高校に入ってすぐにマクベスなどの英文学をやったが、遠い昔の重度厨二病患者が書いた戯言に全く魅力を感じず、適当に読んだふりをして授業に出ていた(ちなみにシェークスピアは意味のない謎の英単語を数多く量産し、その「よくわからない英単語」が現在でもよく使われる単語になっていたりする)。

結局いつもつまらないことがつまらないといった顔で登校し、友達がいるわけでもないのでなるべく存在感を消して授業を適当に聞いていた。「意義が見いだせない」ものをとことんやり続ける教育に嫌気が差していた。学問に対する賞賛がなかったので言うほど賢くなく、専門性と実用性だけがかっこいいと思っていた。

 

そんな僕に転機が訪れたのはここ最近の話。僕に人生のロールモデルができたのだ。僕の言うロールモデルは、実在しない物語上の人物だ。ちなみに実在する人物のロールモデルもいるが、ここでは割愛。今から話す二人の言動や性格から、僕も文化人になりたいなと思い始めた。

 

一人目は小説「古典部シリーズ」に登場する折木奉太郎だ。アニメ「氷菓」の主人公でもある。「やらなくてもいいことはやらない、やるべきことは手短に」をモットーにする奉太郎だが、高校に入ってすぐ姉に勧められて入部した「古典部」にて不覚にも様々なトラブルに巻き込まれ、嫌々ながらそのトラブルを推理し解決していくという物語だ。トラブルと言っても殺人や放火といった物騒な怪奇事件ではなく、身近に起きたちょっとした謎を解決していくといったほうが正しいかもしれない。

僕からして奉太郎の好きなところは、出るときには誠意を持って話すこと。特に「愚者のエンドロール」の序盤で不承不承映画のミステリーを解く奉太郎とは裏腹に、終盤で真実を暴こうとするが故に感情と理性の歯車が回らなくなりつい声を荒げているところには惹かれた。義理も廃ればこの世も闇というが、彼も自分のモットーと「罪」に対する矛盾と戦っているように見えた。

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もう一人は八重垣えりか。僕が最近遊んでいるゲーム「Flowers 夏編」の主人公の車椅子に乗った女の子だ。Flowersは百合と推理を統合したようなゲームのシリーズ。女子専用のミッションスクールにて女の子たちが学園内で起こる奇妙な事件を体験し、それを主人公が推理して暴いていくと言うもの。前作の春編はコミュ障っぽい少女が主人公だったが、今回もとっつきにくく非常にひねくれた女の子なのだが、実は色々とおもしろい。人嫌いで書痴で皮肉屋でだけど実はちょっと心配性だったりして人間臭いところも垣間見るから非常に面白い。

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二人とも僕は大好きだしロールモデルだと思っている。奉太郎の論理力と一貫性には憧れがあるし、えりかの冷めきった目は僕が常に感じる焦燥感を排除していて非常に清々しい。

だが、それ以上に二人にはある共通点があると思う ーそう、文化人であることだ。

 

そもそも僕が呼ぶ文化人とは一般の文化人の定義とは決定的に異なる気がする。一般的な文化人とは、前述した「専門家」に近い意味合いがある気がする。強いて言うなら「文化の専門家」といったらしっくりくるのではないだろうか。日本舞踊について詳しかったり落語家だったりと言ったところだろうか。文化という言葉がサブカルチャーも含んだ意味合いとなっているためか、原宿などの現代的なファッションに通なタレントなども最近は文化人として扱われているのかもしれない。

僕が呼ぶ文化人とは、専門家と逆の位置に立つ人間だ。一つの分野に詳しいというよりは、浅く広い知識を持っている人たち、教養がある人間だ。そういった人間は、何かしら文化的な知識を持っていることが多い。また、僕の想像する文化人は論理的思考が発達しており、自分の持つ教養をどこで応用するのかをよく理解している。折木奉太郎や八重垣えりかは同じようなケースだろう。

特にえりかは本の虫ということもあり、常に「文化人らしい」振る舞いをしている。「ホテルカリフォルニア」といった西洋音楽から「論語」「中庸」と言った儒教の教えまで、幅広いボキャブラリーを駆使し難しい皮肉を披露する。(これはもちろん作者の書き方にも影響されているのだろうけれども)奉太郎も小説の中では使う言葉の幅が広い。心情の変化に使う形容詞が正確なのだ。ちなみに奉太郎も読書が趣味だという。

 

そんな二人は共通して、物語の探偵役になる。探偵といっても、物騒な事件を追うのではなく日常の気がかりな問題を解決するだけだが。

文化人である奉太郎とえりかは、一見草の根を分けて探すような行動に見えて実は効率よく動いている。「連峰は晴れているか」にて、奉太郎は自分が推理した上で出した「嫌な結末」を検証するためにわざわざ図書館まで出向いて資料を漁った。一方のえりかも自分の推理を検証するため、教師の家の鍵を針金を使いこじ開けたりした。二人の行動は少し遠回りに見えるが、あくまで推論を証明する目的で行動しただけであって無駄足ではない。論理が先に来て行動が裏付けに使われる。教養がある人は行動がエレガントだ。

 

彼らの行動パターンも面白い。ニクソン政権で中華人民共和国と水面下で国交を成立したヘンリー・キッシンジャーは著書の"On China"にて東洋と西洋の戦略の違いを「囲碁とチェスの違いだ」と説明した。西洋のチェスは目の前にすべての駒が揃った状態で戦略をたてる。それに対し、東洋の遊びである囲碁では目の前に何もない状態で始める。そして相手を負かすために数手先を見据えて相手を「囲う」のだ。

実はこの東洋的戦略は僕の思う文化人のよくある特徴だ。奉太郎は「クドリャフカの順番」にて犯人に密かに近づき、自分の考えるクライマックスに事を傾けた。同じくえりかも公共の場で糾弾するようなふりをしつつ、後日犯人に接近し真実に迫ることが何度もあった。

僕の勝手な解釈だが、物事を高い精度で推測できるだけの論理的思考を持つため、情報が限られた状態で必要なツールを推測し、切り札を使う時と場所を正確に理解している。残念ながら今の段階で論理的にこの事象を説明できないのだが、一つ言えるのは文化人は知恵が非常に発達している。僕のような非文化人が燃費良く情報を収集し相手を「囲う」ことはできない。これは教養と知恵からきているのではないかと推測している。うまく説明できないのは否めないが。

 

また、幅広い知識を持つ文化人は比喩に使えるボキャブラリーの幅が大きい。えりかについて前述したが、僕の想像する文化人は論理的説明に必ず比喩を使う。これは、自分の考えを一般論で語るのが不可能なときに比較的近いニュアンスの代替的表現をするためだ。僕はそれができない。比喩を出すのがうまくないというより、文化人ではないからだ。いいアイデアが出てきても、相手に上手く伝達するのにひたすら時間がかかるのが厭で仕方がない。

 

僕の思ったことを殴り書きしたが、実際に僕の想像する文化人は「エレガントさ」「東洋人的戦略」「幅広いボキャブラリーを駆使する」の3つのクオリティが例外的に高いのだ。奉太郎とえりかの例しか挙げてないが、似たような人間やキャラクターを一人思い浮かべるといい。この評価基準をすべて満たしているはずだ。

僕はそんな文化人に最近憧れている。僕は何かと不器用で、目の前にあるものからですら戦略を立てるのが上手くなく、そして比喩に使えるボキャブラリーが少ない。どうやったらこの3つのクオリティを底上げできるのかが疑問である。

「本を読めばいいじゃないか」と言われそうだが、ここまで固くなった頭が読書を始めたからと言って大きく成長するのか自信がないし。うーん。